昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

会計学名著紹介④:「企業会計原則」1949年 

 「会計学名著紹介」シリーズ、今回のテーマは、正確には、名著ではなく、「企業会計原則」です。「企業会計原則」は、日本の企業会計の近代化に貢献しただけでなく、会計教育にも多大な影響を与えてきました。以前の財務会計の教科書は、その多くを「企業会計原則」の解説に充て、付録としてその全文を掲載していました。そのため、「企業会計原則」自体、身近なものでした。また、大学をはじめとする教育機関はもちろん、各種資格試験においても大きな役割を果たしてきました。さらに、日本の会計制度に大きな影響を与えました。以下では、「企業会計原則」と商法改正についてお話します。

 戦前は,証券取引法(現在の金融商品取引法)は存在しませんでした。商法(現在の会社法)には計算規定として会計に関する規定が存在しましたが,大枠に関する規定しかありませんでした。税法については,申告納税制度ではなかったので,納税者による精密な計算は行われていませんでした。
 戦後,新設された証券取引法に基づく会計を整備する目的で「企業会計原則」が公表されます。それは,同時に,商法の計算規定と法人税法による計算の近代化に貢献していきます。その経緯を以下で見ていくことにしましょう。
 1949年(昭和24年)7月9日,「企業会計制度対策調査会」(以下では「調査会」と略称します)は,黒澤清 第1部会長の草案を中心に進められてきた研究討議の結果を「企業会計原則」と「財務諸表準則」とに分けて,中間報告として発表しました。「企業会計原則」は,その後,数次の修正を経ていますが,企業会計の礎として,今日なお会計諸則集等に収められています。
 1950年(昭和25年)には,「財務諸表準則」を基礎に「企業会計原則」の一般原則の一部を取り込んで,証券取引委員会規則第18号として「財務諸表規則」が制定されました。
 「企業会計原則」及び「財務諸表準則」と共に公表された「企業会計原則の制定について」において,「企業会計原則」の目的の一つとして以下のものが挙げられています。
企業会計原則は,将来において,商法,税法,物価統制令との企業会計に関係ある諸法令が制定改廃される場合において尊重されなければならないものである。」

 1950年5月に,「調査会」は,「経済安定本部設置法の一部を改正する法律」の公布によって法制化され,発展的に解消し,名称も「企業会計基準審議会」に改められました。同年には,この「企業会計基準審議会」によって「監査基準」及び「監査実施準則」が公表され,証券取引法の領域では,会計・監査の近代化,すなわち資産別評価規定の整備,計算書類様式標準化,外部監査人監査導入等が実現しました。
 商法の計算規定の近代化に当たっては「企業会計原則」が尊重されなければならないといっただけでは不十分という理解から,商法改正についての具体的勧告として1951年(昭和26年)に企業会計基準審議会によって「商法と企業会計原則との調整に関する意見書」(以下では「商法調整意見書」と略称)が公表されました。当時の商法改正委員会委員 矢澤惇は,「商法調整意見書」による勧告は,「要望していますとおりに取り入れられたかどうかは,多少問題がある」としながらも,原則的には商法の1962年(昭和37年)改正と1974年(昭和49年)改正とでほとんど全部取り入れられたといってよいと思うと述べています(新井ほか1978,23頁)。
 すなわち,「商法調整意見書」の勧告は,第1から第14までありますが,そのうちの「第12 資本準備金」は,昭和25年改正による法定準備金についての資本取引と損益取引分離に対する追加要請だとし,残りの13項目については,昭和37年改正と昭和49年改正によって以下のようにほぼ実現したとしています(新井ほか1978,23頁)。

①昭和37年改正商法
 会計・監査の近代化のうち,資産別評価規定の整備が実現しました。また,1963年(昭和38年)には「株式会社の貸借対照表及び損益計算書に関する規則」(法務省令)が制定されました。これによって,「昭和13年以来,25年ぶりに計算書類の方式を定めるという公約がようやく実現」しました(鈴木・竹内1977,367頁)。すなわち,商法による計算書類の様式が標準化されました。

②昭和49年改正商法
 49年改正は,「公正なる会計慣行の斟酌」規定の新設や財産目録の作成義務の廃止,そして会計・監査の近代化のうち,外部監査人監査導入が実現しました。すなわち,会計監査人監査の導入等,商法会計上の長年の課題が達成された改正でした。当改正は,会計・監査に関わる研究者・実務家の多くが「第1次商法改正」と呼ぶ重要な改正でした(西山2002,42頁脚注)。
 商法においても,資産評価規定の法定,計算書類の標準化,外部監査人による強制監査等の会計・監査規制のフルセットの近代化という13年改正の「積み残し」の問題が,37年及び49年改正(同年「商法特例法」制定を含む)で解消されました。
 しかし,その結果,「商法が会計原則のルールを取り入れたその瞬間に会計原則はセミの抜け殻」(新井ほか1978,24頁)のようになるという事態を招来しました(千葉2004,9頁参照)。
 現在、「企業会計原則」は、下掲の金融商品の評価をはじめ、重複する企業会計基準が優先的に適用されるとして、「骨抜き」にされたまま放置されています。
「本会計基準は、金融商品に関する会計処理を定めることを目的とする。なお、資産の評価基準については『企業会計原則』に定めがあるが、金融商品に関しては、本基準が優先して適用される。」[企業会計基準第10号、para.1]

文献
新井清光ほか1978「〈座談会〉企業会計制度の基盤」『企業会計』第30巻第12 号。
鈴木基史2009「会計基準と税務基準の接点・異動」『税経通信』第64巻第13号。
千葉準一2004「『企業会計原則』再考」『企業会計』第56巻第9号。
西山芳喜2002「商法会計の新展開」『ジュリスト』第1229号。

会計学名著紹介③:ペイトン=リトルトン『会社会計基準序説』1940年

 「会計学名著紹介」シリーズ、今回のテーマは、ペイトン=リトルトン『会社会計基準序説』1940年です。アメリ会計学会(AAA)の『会計理論および理論承認』(AAA 1977,染谷訳1980、会計学名著紹介⑤で取り上げています)は,「アメリカ会計文献のなかでおそらく最も強い影響力をもった著作」(染谷訳1980,20頁)と評するペイトン=リトルトンの『会社会計基準序説』(Paton and Littleton 1940,中島訳1958,以下では『序説』と略します)で展開された理論を「対応・凝着アプロ-チ」("matching and attaching approach")と名付けています(染谷訳1980,90頁)。
 対応・凝着アプロ-チによる利益計算の適用は大規模製造企業中心に想定されています。経済を支えているのは何も「モノ」の生産だけでなく,流通や金融・財務も不可欠な活動であることはいうまでもありません。しかし,産業社会の成立以来,現在の物的「豊かさ」を実現した最大の要因は生産の拡大であったことは否めません。そのため,少なくとも対応・凝着アプロ-チによる利益計算の適用が想定される典型例が製造企業であることは当然の成りゆきといえるでしょう。
  『序説』における会社会計の対象は,一貫して「生産的経済単位」としての企業です。『序説』は次のように述べています。
「企業実体および事業活動の継続性の基礎概念は,企業的または制度的な観点を前提とするがゆえに,会計理論も同様に,第一に生産的経済単位としての企業を対象としており,第二義的にのみ,資産にたいする法的な有権者としての出資者を問題とするのである。」(中島訳1958,17-18頁)

 「対応・凝着アプロ-チ」とは,大量生産と大量流通とを統合した産業経済という当時の新たな現実を写し取るべく開発された概念装置でした。製品の売上原価たる製造原価は,原価計算によって算定される必要があります。そして「凝着」概念は,この原価計算を観念的に表現したものと考えられます。『序説』は次のように述べています。
「生産活動が,人間労働と機械力とを消耗して原料の形を変えるのにたいして,会計はこれに歩調をそろえて材料費,労務費および機械に関する原価の適当な部分を分類また集計し,製品原価を構成せしめる。換言すれば,原価が真に意味をもった新しいグル-プに導入されるということは,会計に関して基本的な概念なのである。正当に関係づけると,これらの諸原価が凝集力を有するごとくなのである。」(中島訳1958,21-22頁)

 原価計算においては,原材料,労働力及び生産設備の価値が一体となって,新たなる価値としての製品になるという仮定のもとに,生産要素のそれぞれの価値が「凝着」して製品の原価を構成するというフィクションの上に原価計算が成立しています。

 『序説』は,現在のアメリ財務会計審議会(FASB)の概念フレ-ムワ-ク・プロジェクトにつながる概念フレ-ムワ-クを開発する初期の試みの一つでした。『序説』は次のようにいいます。
「われわれが試みたのは,会計基準をかくかくのものとして叙述することではなくて,会計の基礎的な概念を綜合的に織りあわすことである。意図する所は基礎的な骨組を打ちたてることであって,その骨組みのなかで,これに続いて,会社会計基準要綱が設定されうべきものである。(傍点筆者)」(中島訳1958,1頁)

 この箇所は,あたかもFASBの概念ステ-トメント・プロジェクトについての説明であるかのようです。『序説』では,基礎概念として「企業実体」,「事業活動の継続性」,「測定された対価」,「原価の凝着性」,「努力と成果」および「検証力ある客観的な証拠」が挙げられています。

文献
American Accounting Association 1977 A Statement on Accounting Theory and Theory Acceptance(翻訳;染谷恭次郎訳1980『会計理論および理論承認』国元書房).
Paton, William A./ Littleton, A. C. 1940 An Introduction to Corporate Accounting Standards(翻訳;中島省吾訳1958『会社会計基準序説[改訳版]』森山書店).

会計学名著紹介②:シュマーレンバッハ『十二版・動的貸借対照表論』1956年

 「会計学名著紹介」シリーズ、今回のテーマは、シュマーレンバッハ『十二版・動的貸借対照表論』です。かつて,発生主義会計については,ドイツでは,財産法による静態論との比較で,損益法による動態論として説明されていました。こうしたドイツ的説明は現在の日本の教科書では殆ど姿を消しています。
 ドイツ会計理論を代表する著作が,シュマーレンバッハ(Schmalenbach, Eugen)の『動的貸借対照表』("Dynamische Bilanz") (Schmalenbach 1956,土岐訳1959)です。そこでは,収入・支出との関係で収益・費用が説明されました。下掲の図表がシュマーレンバッハの動的貸借対照表シェーマです(土岐訳1959,52頁)。動的貸借対照表論は,その後,ワルプ(Walb)やコジオール(Kosiol)等によって精緻化されていきました。そして,その一部は,日本の経営学会計学に大きな影響を与え,日本語訳もされました。

 ドイツ静態論では,積極的財産(財産)と消極的財産(債務)との差額である正味財産を示す,財産目録の要約表として貸借対照表が説明されていました。そして積極的財産は,売却価値,すなわち時価で評価されていました。
 ところが,工場,生産設備といった固定資産の会計処理法として原価評価に基づく減価償却が確立することによって,貸借対照表は未償却残高,すなわち投資の未回収額の一覧表となりました。これによって,財産目録作成の前提である時価評価と会計処理とを切り離すことが可能になったのです。
 ドイツ動態論も「支出・未費用」としての資産の説明がメインでした。シュマーレンバッハは,上掲の項目のうち,「支出・未費用」について,「この場合(支出・未費用;筆者注)が近代の経済において大きな役目をなすということはその資本の充実に基づくものである。」(土岐訳1959,47頁)とした上で,これに属する場合として次の四つを挙げ,詳細に説明しています(土岐訳1959,48ー49頁)。
α.工場や事務所建物,機械,暖房設備等といった磨耗(Verschleiß)その他の減価が生じる購入設備。
β.後の期間に収益に変ずると期待される試験研究費,準備費。
γ.未消費の原材料および補助材料。
δ.前払保険料,前払利息,前払家賃および仕入先への前払金といった,費用に対する前払い。

 これらは,いずれも支出について,実現収益に対応する当期の費用と次期以降の費用(資産)とに配分され,次期以降の費用として貸借対照表に計上されるものです。
 因みに「支出・未収入」と「収入・未支出」とは,中立的収支と呼ばれ,損益計算には関係しません。例えば,借入金に関して生じる収入は,損益計算には関係しない「中立的収入」です。つまり,一定期間後に,返済のための支出によって解消するため,プラス・マイナス・ゼロとして損益計算に影響しないので「中立的」と呼びます。これに対して,収益に関して生じる収入は,損益計算に関係する「損益作用的収入」です。
 支出についても,例えば貸付金に関して生じる支出は,損益計算には関係しない「中立的支出」です。つまり,一定期間後に,回収のための収入によって解消するため,プラス・マイナス・ゼロとして損益計算に影響しない支出です。これに対して,費用に関して生じる支出は,損益計算に関係する「損益作用的支出」です。したがって,収入支出のうち,損益計算に影響しない「中立的」収入・支出を除いた「損益作用的」収入・支出によって損益が計算されます。
このように、動的貸借対照表論とは、収入・支出との関係で期間損益計算を精緻に説明した理論です。

文献
Schmalenbach, Eugen 1956 Dynamische Bilanz,12. Aufl., Köln : Westdeutscher Verlag(翻訳;土岐政蔵訳1959『十二版・動的貸借対照表論』森山書店).

会計学名著紹介①:アメリカ会計学会(AAA)『基礎的会計理論』(“ASOBAT”)1966年

はじめに
 1960年代までの米独の会計理論は,制度に関するテーマ中心に展開されていました。したがって,会計理論の学習は財務会計制度の理解を深めてくれるものでした。そして,60年代までの米独の会計理論は,70年代に大学で,会計研究会に所属して財務会計を学んだ世代にとっては,懐かしいものだと思います。「会計学名著紹介」シリーズでは,1970年代以降によく読まれた会計学の名著を紹介したいと思います。第1回目に取り上げるのは、アメリ会計学会(AAA)『基礎的会計理論』(“ASOBAT”)です。


(1)ASOBAT
 1970年代、「情報会計論」が時代の最先端の研究領域でした。今日の財務会計の土台である「利用者指向」を掲げた情報会計論の金字塔ともいうべき『基礎的会計理論』(A Statement of Accounting Basic Theory:AAA 1966、飯野訳1969)は1966年にアメリ会計学会(AAA)によって公表されました。日本でも英語名のイニシャルであるASOBATで呼ばれ,広く流布し、70年代以降も情報会計論の中心的文献でした。
 AAAの一連の会計原則における利用者指向の伝統が1966年のASOBATにおける以下の有名な定義につながりました。
「本委員会は,会計を,情報の利用者が事情に精通して判断や意思決定を行なうことが出きるように,経済的情報を識別し,測定し,伝達するプロセスである,と定義する。」(飯野訳1969,2頁)

 このように,利用者指向を頂点に置くASOBATは,AAAの会計原則論の系譜に連なる伝統的な会計理論であるといえるでしょう。しかし,例えば,1936年の会計原則試案(AAA1936)等でも利用者指向の記述はみられますが(中島訳1964,87頁),それが具体的な会計基準の基礎にされたわけではありませんでした。ASOBAT公表の約10年後にASOBATと同じような報告書を作成するという任務の下に公表されたAAAの『会計理論及び理論承認に関するステ-トメント』(AAA1977,染谷訳1980、以下では『1977年報告書』と略します。会計学名著紹介⑤で取り上げています)は,次のようにいいます。
「1950年代以前においては,会計理論について綿密に作成された多数の研究書は会計のアウトプットの利用者にはふれてはいたけれども,それらの研究書の理論構造がいわゆる利用者の情報『要求』にもとづいていなかったことは,はっきりしている。」 (染谷訳1980,23頁)

 その点,ASOBATは,利用者指向を掲げるだけでなく,「意思決定有用性アプロ-チ」を受容し,さらに,その受容が,「目的適合性」を頂点とする多元的規準アプロ-チの前提となりました。
「意思決定-有用性目的が認められなければ,多元的規準接近法はこれほどまでに発展しなかったと思われる。第二に,一般に基本的なものとして認識されている規範的概念(財務諸表の利用者の意思決定に対する目的適合性)は,意思決定-有用性から生まれ,そしてそれに依存している。」(染谷訳1980,35頁)

 ASOBATでは,「意思決定有用性目的」の受容の下に,「目的適合性」,「検証可能性」,「不偏性」および「量的表現可能性」という,潜在的な会計情報を評価すべき会計情報の基準が展開されました。但し,ASOBATにおいても情報利用者の目的の詳細な研究は,その後にまかされていました。ASOBATは,次のようにいいます。
「しかし,外部利用者についてさらに多くのことがわかり,またかれらの意思決定モデルが洗練され,しかもそれがさらによく知られるようになるにつれて,会計理論も会計実務も変わるであろう。」(飯野訳1969,29頁)

(2)ASOBATとFASB概念フレームワーク
 アメリカでは,AAAが「会計理論」と「実務」との橋渡しを担う概念的基礎の提示において重要な役割を果たしてきました。利用者指向と概念的基礎の提示というAAAの会計原則論の系譜に連なるASOBATは,利用者指向を「意思決定有用性アプローチ」として,より具体化し,その受容のもとに多元的規準アプローチを展開するという,FASBの概念ステートメント・プロジェクトの原型となりました。
 『1977年報告書』は概念的基礎の提示というAAAの会計原則論の伝統を放棄しました。他方,その伝統は,アメリカの財務会計審議会(FASB)の概念フレ-ムワ-ク・プロジェクトによって踏襲されました。すなわち,『1977年報告書』が放棄した,会計基準を構築する「概念的な上部構造」の提示は,FASBによって達成されることになりました。
 情報利用者の目的に関する研究の影響が現れるのは,アメリ公認会計士協会(AICPA)の会計原則審議会(APB)によるAPBステ-トメント第4号「営利企業の財務諸表の基礎をなす基本概念および会計原則」(AICPA 1970、川口訳1973)や「財務諸表目的スタディグル-プ報告書」(AICPA 1973、川口訳1976)においてでした。後者は,委員長の名を冠した,トゥルーブラッド委員会(財務諸表の目的に関する調査会)による報告書であり,その後,それは, FASBの概念ステ-トメント・プロジェクトに継承されていきました。すなわち,概念ステ-トメント(SFAC)No.1「営利企業の財務報告の目的」(FASB 1978、平松・広瀬訳2002)です。
 また,多元的規準アプロ-チは,SFAC No.2「会計情報の質的特徴」(FASB1980、平松・広瀬訳2002)として引き継がれました。SFAC No.2は,SFAC No.1とそれに続く他の概念ステ-トメントとの橋渡しをするものであり,会計情報が有用であるためには,どのような質的特徴を備えていなければならないかという問題を扱っています。
 そこでは,情報を望ましいものにするための特徴が,質的要素の階層構造として示され,「意思決定有用性」の下に,主要な意思決定固有の質的要素として「目的適合性」と「信頼性」が挙げられています。
 資本市場にリンクした会計の特徴は,利用者指向と概念フレームワークの整備にありますが,実は両者は,コインの裏表の関係にあります。1994年のAICPAの報告書は,次のようにいいます。
「会計専門家が,事業報告の質を直接,利用者に照らして判定することは稀であった。
 その代わりに,彼らは,情報ニーズに整合していると考えられる概念およびフレーム
 ワークを形成してきており,その結果,利用者に対するより直接的な検証に基づくよりもむしろ現在の概念と整合する程度に基づいて,報告を改善するための考え方を判定するのが通例である。」(八田・橋本訳 2002,39頁)

 FASBの概念ステートメント・プロジェクトのスタイルは国際会計基準(IFRS)にも踏襲されています。すなわち、国際会計基準委員会(IASC)の概念フレームワーク「財務諸表の作成及び表示に関するフレームワーク」(IASC 1989)は1989年にIASC理事会で承認されました。この概念フレームワークは、2001年に国際会計基準審議会(IASB)によっても採用されました。
 なお、日本でも企業会計基準委員会(ASBJ)により「財務会計の概念フレームワーク」の討議資料が2006年12月に公表されていますが、その段階で留まっています。
その後、IASBとFASBとは、2005年1月に、改善された共通の概念フレームワークを策定するための共同プロジェクトに着手しました。そして、2010年9月28日に「一般目的財務報告の目的」および「決定に有用な財務情報の質的特性」については完成し、その部分を差し替えて「財務報告に関する概念フレームワーク」(これは同時にFASBのSFAC第8号「財務報告のための概念フレームワーク」(FASB 2010) でもありました)として公表されました。しかし、未完成部分については、FASBとの共同プロジェクトをやめて、IASBは、2015年5月28日に、公開草案「財務報告に関する概念フレームワーク」を公表しました。そして、2018年3月29日に当概念フレームワーク(IASB 2018)は最終確定されました。 

文献
飯野利夫訳1969『基礎的会計理論』国元書房。
川口順一訳1973『アメリ公認会計士協会 企業会計原則』同文舘。
――――訳1976『財務諸表の目的』同文舘。
IFRS財団編、企業会計基準委員会・財務会計基準機構監訳2019『IFRS®基準』中央経済社
染谷恭次郎訳1980『会計理論および理論承認』国元書房。
中島省吾訳1964『増訂 A.A.A.会計原則』中央経済社
平松一夫・広瀬義州訳2002『FASB財務会計の諸概念〔増補版〕』中央経済社
八田進二・橋本尚訳2002『事業報告革命』白桃書房
American Accounting Association 1936 "A Tentative Statement of Accounting Principles Affecting Corporate Reports", Accounting Review, pp.187-191(中島訳1964).
―――1966 A Statement of Accounting Basic Theory(飯野訳1969).
―――1977 A Statement on Accounting Theory and Theory Acceptance(染谷訳1980).
American Institute of Certified Public Accountants 1970 Statement No.4 of APB, Basic Concepts and Accounting Principles Underlying Financial Statements of Business Enterprises(川口訳1973).
―――1973-1974 Objectives of Financial Statements(川口訳1976).
AICPA Special Committee on Financial Reporting 1994 Improving Business Reporting - Customer Focus(八田・橋本訳2002).
Financial Accounting Standards Board(FASB)1978 Statement of Financial Accounting Concepts No.1, “Objectives of Financial Reporting by Business Enterprises”(平松・広 瀬訳2002).
―――1980 Statement of Financial Accounting Concepts No.2. " Qualitative Characteristics of Accounting Information"(平松・広瀬訳2002).
―――2010, Statement of Financial Accounting Concepts No.8 "Conceptual Framework for Financial Reporting - Chapter 1,The Objective of Financial Reporting,and Chapter 3,Qualitative Characteristics of Useful Financial Information".
IASC 1989, Framework for the Preparation and Presentation of Financial Statements.
IASB 2018, The Conceptual Framework for Financial Reporting(企業会計基準委員会・財務会計基準機構監訳 2019).

1970年代によく読まれた簿記・会計の教科書

1970年代によく読まれた簿記・会計の教科書は、以下の通りです。

新井清光『財務会計論[増補版]』中央経済社
飯野利夫『財務会計論』同文館出版。
井上達雄『新財務会計論』中央経済社
植野郁太『財務会計論』国元書房。
武田隆二『最新財務諸表論』中央経済社
中村忠『現代会計学[新版]』白桃書房
山桝忠恕・嶌村剛雄『体系財務諸表論[理論編][改訂版]』税務経理協会
そして、みんな持っていた沼田嘉穂『簿記教科書』同文館出版。

戦時下の会計学者南方視察団(その3)

 まず、本稿の(その1)で紹介した全体のスケジュールのうち、スマトラ島でのスケジュールを以下に再掲する。
8月24日  スマトラ島メダン(インドネシア、以下同様)
8月25日  パンカランブランダン油田、バンカランスス油田
8月26日  タバコ工場視察
8月27日  キサラン・ゴム園、パーム油工場、グッドイヤーのゴム工場
8月28日  ブラスダキ
8月30日  スマトラ島メダン
8月31日  昭南島シンガポール
9月2日~8日 南方原価計算準則の作成
9月9日   ジャワ島バタビアインドネシア
9月10日  トーマス・バーター製靴工場視察
9月11日  ココナツ油製油工場、石鹸工場視察
9月12日  バンドン
9月13日  ゴム工場視察
9月14日  キニーネ(伝染病マラリアの特効薬)工場視察
9月15日  製紙工場視察
9月17日  スラバヤ
18日~20日 ビール(ハイネケン)工場、皮革工場視察
9月20日  セレクタ マラン付近の製糖工場、軍直営農場、タバコ工場等視察
9月27日  スラバヤ ジャワ糖業連合会でジャワ糖業の事情聴取
9月29日  バタビア

 スマトラ島インドネシア)の農企業について、黒澤は、マレー半島のそれと対比して次のようにその特徴を語っている。つまり、マレー半島の農園は、単種栽培でゴムに重点を置いている。一方、インドネシアの農企業は、多種栽培の多角経営で、巧妙に経営方法が考えられているという。例えば、ゴムのほかに、パーム油、タバコ、硬質繊維、茶、コーヒーなどの混合経営をやっている。そして、ゴムが安くなったら、パ-ム油に力を注ぎ、パーム油が安くなったらゴムや茶、麻などに力を注ぐといったように。
 また、スマトラ島の農園は、大規模企業が経営していることが第2の特徴として挙げられている。また、第3の特徴として、労働者の賃金統制が非常に良く行われていることが挙げられている。
 続いて、重要な戦略物資である石油については、バンカランブランダン油田の製油工場について説明されている。オランダ人が残した原価計算その他の会計帳簿諸表の中には、今後会計学者が研究すべき幾多の資料が残っていると述べている。スマトラ島のゴム工場の原価計算表等の資料についても、今後の農産加工業の原価計算において非常に参考になると思うと述べている。
ジャワ島では、オランダのハイネケンのビール工場を視察しているが、ハイネケンにはオーストラリア産の麦の備蓄があり、それで作られたビールが美味しかったことが語られている。ジャワ島では、気候風土の関係でキニーネ園が非常に発達しており、世界産額の大きな割合を占めていることが紹介されている。

 次に、本稿の(その1)で紹介した全体のスケジュールのうち、フィリピンでのスケジュールを以下に再掲する。
10月17日  マニラ(フィリピン)
19日、20日 ロープ工場、ココナツ油製油工場
21日    フィリピン経済統制について現状聴取、電力会社
22日    鉱山業の開発事情聴取
23日    綿作状況
24日    生活必需品配給統制事情聴取
26日    コプラ(椰子油の原料)収買事情聴取
27日    南方産業視察談-マレー半島の視察報告(黒澤担当)、スマトラ視察報告(山辺担当)、ジャワ島視察報告(岩田担当)
29日    内地帰還

 座談会における黒澤の説明によれば、フィリピンの統制経済のやり方は日本内地のやり方と非常に似ており、統制組織が完備していたという。マレー半島スマトラ島、ジャワ島では、工場を巡歴するという視察方法をとったが、フィリピンのマニラでは統制および計画経済の進展状況を統制団体に行って聴取するというやり方がとられた。
 まず、フィリピンの主産物である砂糖について、その生産費はジャワ島のそれの3倍であったという。それは、旧宗主国アメリカは、キューバ島に巨大な砂糖栽培区域を持っているため、それに障害を与えない程度にフィリピンでの砂糖生産をやらせていた。座談会における岩田の発言によれば、フィリピンの砂糖業は、フィリピンの自然的条件からというよりアメリカの保護政策によって発達されてきた。フィリピンの砂糖は、品質も悪く、割高で、しかもアメリカ以外に輸出を禁じられていたことなどから砂糖業は行き詰まりの状態にあったという。
 なお、フィリピンでは、先述のように統制団体での事情聴取が主で、現場を詳しく見ることはなかったという。アメリカは、フィリピンを原料供給地とし、またアメリカ製品の市場にしていた。なお、イギリスは、マレー半島では現地人に英語を教えたのに対し、オランダはインドネシア人の生活様式を尊重して、少しも改善したり引き上げようとしなかった。これに対して、アメリカは、フィリピン人をアメリカナイズし、アメリカの生活様式を教え込んでいたという。
 最後に、南方の原価計算要綱や原価計算準則作成の苦心談が黒澤によって語られている。元来、原価計算要綱は、製造工業から出発して、内地(日本)では製造工業における体系がまず完備した。しかし、南方では、農産加工業と比較的規模の小さい工業が多く、製造工業が脆弱ないし殆ど欠如しているので、色々な点で修正を要する。例えば、農産加工業では、季節性をもった産業であるため、原価計算期間の設定に苦労し、毎月定期に原価計算をするという訳にはいかない。
 このように、製造工業に重点がなくて、農産加工業と原始産業に特徴があるために、原価計算が最も普及し難い状況にある。そして、実際の経営担当者は、原価計算を要求していても、実際の経営に当たらない投資家は、原価計算を軽視したり、無視しているということが挙げられ、原価計算制度の確立・普及には色々な障害が多いと総括されている。なお、現地での原価計算指導は、10月7日~9日の昭南島シンガポール)での原価計算講習会開催をもってそれに充てたとされている。
 黒澤、山辺、岩田は、帰国したが、長谷川は、帰途10月29日に台北出発後、飛行機事故により亡くなった。

参考文献
黒澤清1942/1943「南方遊記」『會計』(一)、(二)第51巻第6号、第52巻第2号。
黒澤ほか1943「南方に於ける原価計算事情座談会」『原価計算』第3巻第1号。
長谷川安兵衛1943「南方視察日記」(その1)、(その2)『原価計算』第3巻第3号、第4号。

戦時下の会計学者南方視察団(その2)

 南方視察団一行は、1942年7月25日午前6時50分頃、羽田空港を飛び立ち、まず、当時、日本最大の民間飛行場であった福岡県の雁の巣飛行場に着陸した。午前11時に離陸して、現在の中国上海大場飛行場に2時45分に到着。午後3字15分に再び離陸、午後6時半に台北飛行場(台湾)に到着した。翌26日、一行は天候不良のため台北市内を見物し、27日午前9時頃に台北から広東(中国)に向かった。広東離陸後、海南島(中国)に着陸し、一泊した後、7月28日に離陸、サイゴンベトナム)の飛行場に到着、一泊した。7月29日、長谷川は、黒澤、山辺と別れて、岩田等と軍用機で昭南島(現在のシンガポール)に向い、到着した。そして、7月31日に黒澤、山辺昭南島シンガポール)に到着し、合流した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))では、機上での洋食弁当(機内食)の内容が紹介されている。パン2つ、ハム、ピ-ス(タバコ)、ビスケット、卵1個、バナナ、マンゴスチン、龍眼(南方の果物)だったそうである。
 8月1日昭南島シンガポール)で午前11時から原価調査に関する打合会が開催された。下記がその通知である(一部、表記は改めている)。

号外 民間事業原価調査に関する打合会開催の件
昭和17年7月30日 南方軍経理
 今般、南方に於ける交易物資原価調査並びに原価計算指導のため、陸軍省より長谷川博士他3名の嘱託を派遣せられたるについては、これが業務の進行に関し先の要領により打合会を開催致すにつき、関係将校(または文官)を出席せしめられたし。
 左記
1. 日時 8月1日11時(約3時間)
1. 場所 総軍司令部第2号舎階下講堂
1. 打合項目
 (1) 嘱託に委嘱すべき業務に関する事項
 (2) 視察地域および期間に関する事項
 (3) マレー半島(現在のマレーシア:筆者注)およびスマトラ島(現在のインドネシア:筆者注)調査、視察計画に関する事項

 一行は、昭南島シンガポール)では、当時、「昭南ホテル」と改名された兵站旅館の元ラッフルズ・ホテルに滞在した。8月2日は、昭南島の市内を見物し、一泊した後、8月3日に自動車で陸路により500キロを踏破してクアラルンプール(現在のマレーシア)に到着した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))には途中、車上から見た激戦の後などが描写されている。また、当時のマレー半島の人口は550万人で、その半ばが華僑であったことが黒澤の旅行記(黒澤1943(一))に記されている。
 8月4日には、一行は、バトアラン炭鉱を視察した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))には、炭質や採掘状況などが記されている。また、石炭の原価構成と原価計算上の問題点も紹介されている。
 8月5日には、一行は、ゴム園を視察した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))には、労働者の賃金やゴムの生産工程が記されている。また、クアラルンプール滞在中に、長谷川は、子供用にハーフコート、黒澤は、ジレットの安全カミソリとコルゲートのシェービング・クリーム等、山辺は、パーカー万年筆を2本購入したことなども紹介されている。
 8月7日には、一行は、自動車でイポーに向けて出発した。午後4時頃到着し、一行の一部はイポー州長官邸に泊った。翌8月8日もイポーに一泊した後、8月9日に、一行は、自動車でピナン(現在のペナン島)に向かった。8月10日には、錫精錬所を視察し、一行は、1週間かけて、錫精錬所の技師長や会計主任から錫産業について聴取し、研究を行った。当地で黒澤は、病に倒れ、ペナン病院に入院した。
 8月15日にペナン島を離れ、カメロン高地に一泊した後、8月16日に、再び、クアラルンプールに到着し、一泊した後、翌8月17日にクアラルンプールを出発。途中、マラッカに一泊し、試掘中のボーキサイト鉱区を視察した。8月18日に再び、昭南島シンガポール)に到着し、1週間、休養することになった。以上が、一行のマレー半島視察である。8月24日にインドネシアスマトラ島視察に向かうが、それについは、次稿(その3)で記すことにしたい。

参考文献
黒澤清1942/1943「南方遊記」『會計』(一)、(二)第51巻第6号、第52巻第2号。
黒澤ほか1943「南方に於ける原価計算事情座談会」『原価計算』第3巻第1号。
長谷川安兵衛1943「南方視察日記」(その1)、(その2)『原価計算』第3巻第3号、第4号。