昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

戦時下の会計学者南方視察団(その2)

 南方視察団一行は、1942年7月25日午前6時50分頃、羽田空港を飛び立ち、まず、当時、日本最大の民間飛行場であった福岡県の雁の巣飛行場に着陸した。午前11時に離陸して、現在の中国上海大場飛行場に2時45分に到着。午後3字15分に再び離陸、午後6時半に台北飛行場(台湾)に到着した。翌26日、一行は天候不良のため台北市内を見物し、27日午前9時頃に台北から広東(中国)に向かった。広東離陸後、海南島(中国)に着陸し、一泊した後、7月28日に離陸、サイゴンベトナム)の飛行場に到着、一泊した。7月29日、長谷川は、黒澤、山辺と別れて、岩田等と軍用機で昭南島(現在のシンガポール)に向い、到着した。そして、7月31日に黒澤、山辺昭南島シンガポール)に到着し、合流した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))では、機上での洋食弁当(機内食)の内容が紹介されている。パン2つ、ハム、ピ-ス(タバコ)、ビスケット、卵1個、バナナ、マンゴスチン、龍眼(南方の果物)だったそうである。
 8月1日昭南島シンガポール)で午前11時から原価調査に関する打合会が開催された。下記がその通知である(一部、表記は改めている)。

号外 民間事業原価調査に関する打合会開催の件
昭和17年7月30日 南方軍経理
 今般、南方に於ける交易物資原価調査並びに原価計算指導のため、陸軍省より長谷川博士他3名の嘱託を派遣せられたるについては、これが業務の進行に関し先の要領により打合会を開催致すにつき、関係将校(または文官)を出席せしめられたし。
 左記
1. 日時 8月1日11時(約3時間)
1. 場所 総軍司令部第2号舎階下講堂
1. 打合項目
 (1) 嘱託に委嘱すべき業務に関する事項
 (2) 視察地域および期間に関する事項
 (3) マレー半島(現在のマレーシア:筆者注)およびスマトラ島(現在のインドネシア:筆者注)調査、視察計画に関する事項

 一行は、昭南島シンガポール)では、当時、「昭南ホテル」と改名された兵站旅館の元ラッフルズ・ホテルに滞在した。8月2日は、昭南島の市内を見物し、一泊した後、8月3日に自動車で陸路により500キロを踏破してクアラルンプール(現在のマレーシア)に到着した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))には途中、車上から見た激戦の後などが描写されている。また、当時のマレー半島の人口は550万人で、その半ばが華僑であったことが黒澤の旅行記(黒澤1943(一))に記されている。
 8月4日には、一行は、バトアラン炭鉱を視察した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))には、炭質や採掘状況などが記されている。また、石炭の原価構成と原価計算上の問題点も紹介されている。
 8月5日には、一行は、ゴム園を視察した。長谷川の日記(長谷川1943(その2))には、労働者の賃金やゴムの生産工程が記されている。また、クアラルンプール滞在中に、長谷川は、子供用にハーフコート、黒澤は、ジレットの安全カミソリとコルゲートのシェービング・クリーム等、山辺は、パーカー万年筆を2本購入したことなども紹介されている。
 8月7日には、一行は、自動車でイポーに向けて出発した。午後4時頃到着し、一行の一部はイポー州長官邸に泊った。翌8月8日もイポーに一泊した後、8月9日に、一行は、自動車でピナン(現在のペナン島)に向かった。8月10日には、錫精錬所を視察し、一行は、1週間かけて、錫精錬所の技師長や会計主任から錫産業について聴取し、研究を行った。当地で黒澤は、病に倒れ、ペナン病院に入院した。
 8月15日にペナン島を離れ、カメロン高地に一泊した後、8月16日に、再び、クアラルンプールに到着し、一泊した後、翌8月17日にクアラルンプールを出発。途中、マラッカに一泊し、試掘中のボーキサイト鉱区を視察した。8月18日に再び、昭南島シンガポール)に到着し、1週間、休養することになった。以上が、一行のマレー半島視察である。8月24日にインドネシアスマトラ島視察に向かうが、それについは、次稿(その3)で記すことにしたい。

参考文献
黒澤清1942/1943「南方遊記」『會計』(一)、(二)第51巻第6号、第52巻第2号。
黒澤ほか1943「南方に於ける原価計算事情座談会」『原価計算』第3巻第1号。
長谷川安兵衛1943「南方視察日記」(その1)、(その2)『原価計算』第3巻第3号、第4号。