昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

戦時下の会計学者南方視察団(その1)

 1942年7月下旬から10月の約3か月間、当時、日本の占領下にあった南方に日本と同様の統一原価計算制度を確立するために、現地において原価計算に関する指導と業種別の原価計算準則の作成が陸軍省より4人の会計学者に委嘱された。委嘱されたのは、長谷川安兵衛(早稲田大学商学部)、黒澤清(横浜経済専門学校:現在の横浜国立大学経営学部)、山辺六郎(長崎高等商業学校:現在の長崎大学経済学部)、岩田巌(東京商科大学:現在の一橋大学商学部)である。
その内容は、当時、雑誌『會計』(現在も存続)掲載の黒澤清による「南方遊記」(黒澤1942/1943)、雑誌『原価計算』(戦後、雑誌『産業経理』となる)掲載の長谷川安兵衛による「南方視察日記」(長谷川1943)、そして雑誌『原価計算』掲載の「南方に於ける原価計算事情座談会」(黒澤ほか1943)によって知ることができる。なお、長谷川安兵衛は、帰途、10月29日に台湾で飛行機事故のため亡くなった。日記は、遺品として残されたものである。以下では、視察のスケジュールだけを紹介し、詳細は、改めて記すことにしたい。

1943年7月25日 羽田空港発後、広東(中国)、台北(台湾)、海南島(中国)、サイゴンベトナム)を経由
    7月31日 全員昭南島(現在のシンガポール)到着(一部のメンバーは先着)
    8月3日  クアラルンプール(マレーシア、以下同様)
    8月7日  イポー
    8月9日  ピナン(現在のペナン島
    8月16日  クアラルンプール
    8月17日  マラッカ
    8月18日  昭南島シンガポール
    8月24日  スマトラ島メダン(インドネシア、以下同様)
    8月25日  パンカランブランダン油田、バンカランスス油田
    8月26日  タバコ工場視察
    8月27日  キサラン・ゴム園、パーム油工場、グッドイヤーのゴム工場
    8月28日  ブラスダキ
    8月30日  スマトラ島メダン
    8月31日  昭南島シンガポール
    9月2日~8日 南方原価計算準則の作成
    9月9日   ジャワ島バタビアインドネシア
9月10日  トーマス・バーター製靴工場視察
9月11日  ココナツ油製油工場、石鹸工場視察
9月12日  バンドン
9月13日  ゴム工場視察
9月14日  キニーネ(伝染病マラリアの特効薬)工場視察
9月15日  製紙工場視察
9月17日  スラバヤ
18日~20日 ビール(ハイネケン)工場、皮革工場視察
9月20日  セレクタ マラン付近の製糖工場、軍直営農場、タバコ工場等視察
9月27日  スラバヤ ジャワ糖業連合会でジャワ糖業の事情聴取
9月29日  バタビア
10月1日  昭南島シンガポール
10月7日~9日  原価計算講習会開催-視察報告(黒澤担当)、南方製造工業原価計算要綱の説明(岩田担当)、南方農産加工業原価計算準則、南方鉱業原価計算要綱(黒澤担当)、キニーネ類製造業原価計算準則(山辺担当)
10月14日  広東(中国)
10月15日  台北(台湾)
10月17日  マニラ(フィリピン)
19日、20日 ロープ工場、ココナツ油製油工場
21日    フィリピン経済統制について現状聴取、電力会社
22日    鉱山業の開発事情聴取
23日    綿作状況
24日    生活必需品配給統制事情聴取
26日    コプラ(椰子油の原料)収買事情聴取
27日    南方産業視察談-マレー半島の視察報告(黒澤担当)、スマトラ視察報告(山辺担当)、ジャワ島視察報告(岩田担当)
29日    内地帰還

参考文献
黒澤清1942/1943「南方遊記」『會計』第51巻第6号、第52巻第2号。
黒澤ほか1943「南方に於ける原価計算事情座談会」『原価計算』第3巻第1号。
長谷川安兵衛1943「南方視察日記」(その1)、(その2)『原価計算』第3巻第3号、第4号。

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」):「企業会計原則」研究の参考文献/資料

 「企業会計原則」は、日本が主権を失っていた戦後占領期という特殊な状況で生まれた。幸いなことに「企業会計原則」の成立については、「企業会計原則」の成立プロセスに関わる黒澤清(当時横浜経済専門学校、後の横浜国立大学教授)の個人所蔵の内部資料を含む各種資料が成蹊大学図書館に黒澤文庫として所蔵されている。そして、1948年11月25日、12月2日及び12月9日の「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録」が雑誌『會計』に掲載されている。また、「企業会計原則」成立の中心になった黒澤清が、雑誌『企業会計』に「資料:日本の会計制度」という16回の連載で詳述している。しかし、この連載では、記載事実の一部重複や時間の前後関係の食い違いなどにより、明確でない個所が少なからずある。そうした点についは、黒澤の他の回顧録及び対談での発言や国立公文書館所蔵資料、国立国会図書館の憲政資料室「日本占領関係資料」等で補うことができる。なお、昭和24年版「企業会計原則」には、英語版が存在し、そのタイトルは、” the Tentative Business Accounting Principles”である(雑誌『會計』第56巻第4号(1949年)掲載)。

企業会計原則」研究の参考文献/資料一覧
新井清光編1989『日本会計・監査規範形成史料』中央経済社
新井清光ほか1978「〈座談会〉企業会計制度の基盤」『企業会計』第30巻第12号。
安藤英義・弥永真生2023「〈対談〉時を超える「企業会計原則」-70年の歩みを振り返って」『企業会計』第75巻第1号。
太田哲三1968『近代会計側面誌-会計学の六十年-』中央経済社
川北博2008『[私本]会計・監査業務戦後史』日本公認会計士出版局。
企業会計制度対策調査会1949「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録(1)~(3)」『会計』第56巻第3,5,7号。
久保田秀樹2001『日本型会計成立史』税務経理協会
---2008『「日本型」会計規制の変遷』中央経済社
黒澤清1979/80「資料:日本の会計制度〈1〉~〈16〉」『企業会計』第31巻第1号~第32 巻第4号。
---1990『日本会計制度発達史』財経詳報社。
黒澤清編著1987『わが国財務諸表制度の歩み』雄松堂。
経済安定本部1949「企業会計制度対策調査会業務概況報告」(成蹊大学付属図書館『黒澤 文庫目録Ⅱ―第一次史料-』(2000年)整理番号Ⅱ-12 9)。
総理庁1948「建議書」、国立公文書館[請求番号]本館-4E、036-00、平14内閣-00042-100、リール番号001400、マイクロ・コマ番号0193。
田中章義編1990『〈インタビュー〉日本における会計学研究の発展』同文舘。
千葉準一1998『日本近代会計制度-企業会計体制の変遷』中央経済社
西野嘉一郎1985『現代会計監査制度発達史-日本公認会計士制度のあゆみ』第一法規
日本公認会計士協会25年史編纂委員会1975a『公認会計士制度二十五年史』同文舘出版。
----1975b『会計・監査史料』同文舘出版。
番場嘉一郎ほか1974「〈座談会〉企業会計四半世紀の歩み」『企業会計』第26巻第1号。
連合国最高司令官総司令部(General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers;GHQ/SCAP)民間情報教育局(Civil Information and Education Section;CIE 1948 "Accounting Standards & Education" (国立国会図書館、憲政資料室「日本占領関 係資料」[請求番号]憲政CIE(C)04982-04985)。

ドイツ会計制度③

 今回は、2009年会計法現代化法(BilMoG)と2015年会計指令転換法における計算規定を概観しましょう。

 

1 2009年会計法現代化法(BilMoG)

 BilMoGの政府草案の理由書によれば、2009年5月29日に発効したBilMoGによって「(国際財務報告基準(IFRSs)との関係において…)等価値であるが、より簡素かつコスト的に有利な代替物を企業に提供するという目的が追求された。その際、商法上の年度決算書は、依然として利益配当の基礎であり、商法上の年度決算書の、課税所得計算に対する基準性の利点は保持され、同様に、正規の簿記原則の体系といった、商法上の会計報告の支柱は依然として存在し続けている。」(BT-Drucks,16/10067, S.32)

 

 このように、商法決算書は、依然として配当の基礎であり、課税所得計算の基準です。BilMoGによる主な改正点は以下の通りです。

 ①規模以下の個人商人(Einzelkaufleute)に対する規制緩和

 ②商法決算書の情報提供機能の改善

 ③HGB開放条項(Öffnungsklausel)の削除

 ④税務上の選択権行使の前提設定

 

  上掲の①については、BilMoGによりHGB第241a条で個人商人に対してHGB上の記帳義務の免除が初めて導入されました。

 また、上掲の②にあるように「商法決算書の情報提供機能の改善」が目的の1つとされ、さらに③と④もHGB上の「適正な損益算定」の足枷の一部を外すことが目的でした。すなわち、ドイツの課税所得計算は,日本の「確定決算主義」に相当する「基準性の原則」(Maßgeblichkeitsgrundsatz)により商法決算書(Handelsbilanz)に結び付けられています。そして、所得税施行令(Einkommensteuer-Durchführungsverordnung:EStDV) 第60条第2項第1文により,納税義務者が別個の税務決算書を作成しない限り,課税所得計算の基礎は,規定された税務上の調整計算書(Überleistungsrechnung)を添付した商法決算書です。こうしたHGB準拠決算書と税務決算書とのつながり、特に「逆基準性」が、HGB上の「適正な損益算定」の足枷となっているという批判がありました。

 BilMoGも、関連するHGB等の法律の特定の条文を改正・新設する「条項法」であり、HGBの改正以外に所得税法(EStG)等の改正も含んでいます。日本の損金経理要件に類似した「逆基準性」は、EStG旧第5条第1項第2文が除かれたことにより廃止されました。その結果、補助金の税務上の選択権の行使は、商法決算書上の計上から独立して可能となりました。 

 しかし、商法決算書と税務決算書との結合は、IFRSsの展開において原則としてフェードアウトされますが、ドイツでは重要であるとされました。税務決算書との離反は、比較的大規模な企業にとっては不可避ですが、基準性の原則の存在意義として重要な論点は中小企業の負担問題にあります。中小企業にとっては,商法決算書と税務決算書とを別々に作成するコストは過重負担だからです。統一決算書(Einheitsbilanz)とは、商法決算書に上述の調整計算書を添付することにより、税務決算書を別個に作成しないことを指しますが、BilMoGにより「逆基準性」が廃止された一方で、基準性の原則が温存されたのは,中小企業に統一決算書の可能性を残すためだったという見解もありました(Fischer/Kalina-Kerschbaum 2010, S.399)。

 なお、BilMoGの政府草案では総ての商人に規定された、売買目的金融商品の公正価値による評価(HGB政府草案第253条第1項第3文)は、連邦議会の介入により転換されず、公正価値評価は金融機関の売買目的金融商品に限定されました(HGB第340e条第3項第1文)。このように公正価値評価の範囲について、IFRSsよりも限定されたものとなりました。

 

2 2015年会計指令転換法(Bilanzrichtlinie-Umsetzungsgesetz:BilRUG)

 2013年6月29日に会計指令2013/34/EU(以下ではEU会計指令と称します)がEUの官報で公表されました。EU会計指令はEC第4号指令(個別決算書)およびEC第7号指令(連結決算書)に代わり、2015年7月20日までに各EU加盟国で国内法化され、2015年12月31日後に始まる事業年度に初度適用されねばなりませんでした(EU会計指令第53条)。会計指令転換法(BilRUG)によって、EU会計指令の規準が、2015年7月に期限どおりにドイツ法に転換されました。

 そして、BilRUGによって個別決算書および連結決算書に以下のような重要な変更が生じました。

 ①引き受けられた債務に対する保証義務

 ②資本参加会社のマイクロ資本会社(Kleinstkapitalgesellschaft)からの排除

 ③連結会計報告の免除

 ④計上および評価原則

  (ア)営業収益の新定義

  (イ)臨時費用・収益の区分表示の廃止

  (ウ)自己創設された無形資産および有償取得の無形資産の耐用年数の見積に対する標

   準規則の廃止

  (エ)調達価格縮減の帰属可能性の明確化 

 ⑤同一期間に受領された資本参加収益に対する配当禁止

 ⑥注記・附属明細書記載の拡大

 ⑦連結決算書

  (ア)資本連結

  (イ)貸方差額の取扱

  (ウ)持分法

 ⑧監査および公開

  (ア)決算書監査における明確化

  (イ)監査済み決算書の公開義務

 

 但し、ドイツではBilRUGによって、EU会計指令が額面どおり転換されたわけではありません。また、EU会計指令には、IFRSs由来のアプローチがある一方、IFRSsとは異なる点もあります。さらに、BilRUGは、EU会計指令のドイツ国内法への転換ですが、IFRSsよる財務諸表には存在しない「異常な」損益が、注記・附属明細書において記載されるようになりました。

 

文献

Fischer, Carola/ Claudia Kalina-Kerschbaum,2010 “ Maßgeblichhkeit der Handelsbilanz für

 die steuerliche Gewinnermitttlung ,“ Deutsches Steuerrecht(DStR) 8/2010, S.399-401.

Richtlinie 2013/34/EU des Europäischen Parlaments und des Rates vom 26. Juni 2013

 über den  Jahresabschluss, den konsolidierten Abschluss und damit verbundene  

 Berichte von Unternehmen bestimmter Rechtsformen und zur Änderung der Richtlinie

 2006/43/EG des Europäischen Parlaments und des Rates und zur Aufhebung der

 Richtlinie 78/660/EWG und 83/349/EWG des Rates.

 

ドイツ会計制度②

 今回は、1998年資本調達容易化法から2004年会計改革法における計算規定を概観しましょう。

 

1 1998年資本調達容易化法(KapAEG)

  1993年9月に,ドイツを代表する企業ダイムラーベンツの株式が、アメリカ預託証券によって店頭取引として初めてニューヨーク証券取引所(NYSE)で取引されました。その際,ドイツ商法典(HGB)準拠の連結決算書にアメリ会計基準(US-GAAP)準拠の連結決算書との重要な差異を示す調整表が添付され提出されました。そして翌1994年に,1993年度利益がHGB準拠の連結決算書とUS-GAAP準拠の連結決算書とで24億独マルク(当時)を超える差異があることが明らかとなりました。つまり,HGB準拠の連結決算書では約6億独マルクの黒字であったのに対し,US-GAAP準拠の連結決算書では約18億マルクの赤字という事実が,単に両基準の相違という認識を越えて,HGB準拠の連結決算書に偏向があるかのような印象を与えました。

 ビュステマン(J.Wüstemann)は「ドイツ型とアメリカ型の計算行為が乖離する場合,たとえばダイムラーベンツのケースにおいて,なぜアメリカの会計原則に従って確定された利益が『正しい』あるいは『真実』であると仮定されるのか明らかでない。」(Wüstemann 1996 , S.430)としています。しかし、情報提供機能に特化したUS-GAAP準拠の連結決算書が「適正な損益算定」についてHGB準拠の連結決算書より優位とみなされたことは確かです。

 その後、17の企業集団が、HGB準拠連結決算書数値のUS-GAAPの準拠連結決算書数値への調整計算を行うというダイムラーの後を追いました。これらのドイツの企業集団にとって、たとえUS-GAAP準拠連結決算書が簡易形式で受理されたとしても、HGB準拠連結決算書とUS-GAAP準拠連結決算書の作成による二重負担が生じました。

 その結果として、立法当局は、上場ドイツ親企業に対し、HGB準拠の連結決算書の代わりに国際会計基準(International Accounting Standards;当時)またはUS-GAAP準拠の連結決算書の作成を許容する、1998年4月20日の資本調達容易化法(KapAGE)によりHGB旧第292a条を創設しました。

 

2 1998年企業領域統制・透明化法(KonTraG)

 1998年4月27日に制定された企業領域統制・透明化法(KonTraG)により、連結注記・附属明細書にキャッシュフロー計算書(Kapitalflussrechnung)とセグメント報告書(Segmentberichterstattung)が導入されました。

 

3 2000年資本会社&Co.指令法(KapCoRiLiG)

 2000年2月24日に制定された資本会社&Co.指令法(KapCoRiLiG)によって、有限会社&Co.指令(Richtlinie 90/605/EWG)がドイツ法に転換されました。KapCoRiLiGによって、HGB準拠の連結決算書の代わりにIASまたはUS-GAAP準拠の連結決算書の作成を許容する免責措置の適用範囲が、特定の資本市場指向の非資本会社にまで拡大されました。

  これによって、上場ドイツ親企業に対するIASまたはUS-GAAP準拠の連結決算書による代替により、IASまたはUS-GAAP準拠連結決算書とHGB準拠連結決算書との情報提供内容における著しい差異、それに結びついた経営陣サイドの自由度、および情報利用者にとっての比較可能性の欠如が容認されることになりました。

 

4 2002年透明化・開示法(TransPuG)

  ドイツの立法当局は、2002年7月19日に成立した透明化・開示法(TransPuG)によって既に4年前に導入された、会計法の領域における変化をさらに前進させました。TransPuGによって,HGBの連結会計規定が,以下のように修正されました。

①部分連結決算書の免責が一部解除された。

②連結注記・附属明細書にキャッシュフロー計算書とセグメント報告書に加えて,持分

 変動計算書(Eigenkapitalspiegel)が導入された。

③連結決算書の基準日を親会社の個別決算書の基準日に合わせることが求められた。

④資本連結の際の取得原価限度が撤廃された。

⑤内部利益消去に係る特例が廃止された。

⑥連結決算書における逆基準性(umgekehrte Maßgeblichkeit)が排除された。

⑦連結範囲や持分の所有比率の記載に関する特例が廃止された。

⑧活動領域ならびに地理的に区分された市場に基づく売上高の分類(セグメント情報の

 一部)の記載に関する特例が廃止された。

 

5 2004年会計法改革法(BilReG)

 2002年7月に成立したEU規則Nr.1606/2002(Verordnung (EG)Nr.1606/2002)は、EU加盟国にある取引所に上場するヨーロッパ企業(EU加盟国企業以外に、アイスランドリヒテンシュタインおよびノルウェイの企業も含む)に対し、2005年の事業年度から国際財務報告基準(IFRSs)に準拠して連結決算書を作成することを要求しました。ドイツでは、上場企業の場合、2005年1月1日から、上場を申請した企業については2007年1月1日からIFRSsが強制適用され、そして非上場企業については2003年1月1日からHGBとIFRSs間の選択が可能となりました。この段階で、財務会計は財務報告へ脱皮したといえるでしょう。

 総ての企業は、同時にHGB準拠の個別決算書を作成しなければなりません。情報提供目的についてのみ、資本会社はIFRSs準拠の個別決算書も作成することができ、連邦官報で公開されます。

 会計報告が、ドイツ法以外の外国法ないしドイツ基準以外の外国基準に開かれることにより、当時、以下の理由で比較可能性が低下しました。

①上場親企業は、IFRSs準拠連結決算書、HGB準拠個別決算書および税務決算書

 (Steuerbilanz)を作成しなければならない。NYSEに上場した企業は、さらにUS-GAAP

 決算書を作成ないし相応の調整を行わねばならなかった(当時)。それによって3つ又

 は4つの相互に異なる会計基準が重要となった。

② 上場企業を親会社とする子企業は、HGB準拠個別決算書のみの作成を固持することが

 できない。なぜなら、HGB準拠個別決算書は上場親企業の連結決算書の作成のために

 簡単に利用できないだろうからである。さらに、当該子企業は、これとは無関係な税

 務決算書も作成しなければならない。

③ HGB準拠の個別決算書は、配当に関連するが、IFRSs準拠の個別決算書は、公開にの

 み利用される。したがって、IFRSs準拠の個別決算書では、情報利用者においては課税

 所得と無関係な、「適正な損益」とは何かということが問題になるはずである。

 

 この混合状態は、HGBの規定が、少なくともIFRSsにどの程度統一ないしは近接されうるかという考察につながり、結果として、2009年5月に施行された会計法現代化法(BilMoG)制定へと至りました。

 

文献

Wüstemann, Jans 1996, “ US-GAAP : Modell für dan deutsche Bilanzrecht ?,”  

 Wirtschaftsprüfung(WPg) Jg. 49.

Richtlinie 90/605/EWG des Rates vom 8. November 1990 zur Änderung der Richtlinien

 78/660/EWG und 83/349/EWG über den Jahresabschluß bzw. den konsolidierten  

 Abschluß hinsichtlich ihres Anwendungsbereichs.

Verordnung (EG) Nr. 1606/2002 des Europäischen Parlaments und des Rates vom 19. Juli  2002 betreffend die Anwendung internationaler Rechnungslegungsstandards.

ドイツ会計制度①

 今回は、ドイツ会計制度①として、1861年の普通ドイツ商法典、1937年株式法、1965年株式法および1985年会計指令法における計算規定を概観してみましょう。

 

1 1861年普通ドイツ商法典(Allgemeines Deutsches Handelsgesetzbuch von 1861:ADHGB)

 1861年普通ドイツ商法典(ADHGB)では、第28条が、商人に帳簿記録を義務づけました。そして、第29条は、下掲のように開業貸借対照表と年度貸借対照表を要求しました。

「総ての商人は、営業開始の際、土地、債権並びに債務、現金の額およびその他の財産

 を正確に記録しなければならず、その際、財産の価値を記載し、そして財産と債務と

 の関係を示す決算書を作成しなければならない。すべて商人は、その後も毎年、そう

 した財産目録および貸借対照表を作成しなければならない。…以下略…」

 

 評価については、第31条のみが、下掲のように定めていました。

「財産目録および貸借対照表の作成の際、総ての財産および債権は、作成時に付すべき

 価値により記載しなければならない。疑わしき債権は、その回収見込みの価値で記載

 されねばならず、不良債権は減価記入されねばならない。」

                                                       

 1897年5月10日には、初めてドイツ商法典(HGB)に、「正規の簿記原則」(Grundsätze ordnungsmäßiger Buchführung:GoB)という不確定法概念が導入されました。立法当局は、HGB旧第38条第1項により、今日なおHGB第238条第1項第1文にある下掲の文を創設しました。

「総ての商人は、帳簿を付け、それにおいて正規の簿記原則により取引および財産の状

 況を明らかにしなければならない。」

 

 しかし、正規の簿記原則は、適正な損益算定に直接結びつくものではありませんでした。なお、1925年8月の所得税法(Einkommensteuergesetz:EStG)は、旧第13条において正規の簿記原則による所得算定を規定しました。

 

2 1937年株式法(Aktiengesetz von 1937)

 1937年10月の株式法(AktG)は、株式会社(Aktiengesellschaft:AG)と株式合資会社(Kommanditgesellschaft auf Aktien:KGaA)に特別規定をもたらした。第129条第1項によって下掲の一般規範(Generalnorm)が創設されました。

「年度決算書は、秩序ある簿記原則(Grundsätze ordnungsgemäßer Buchführung)に対応

 しなければならない。年度決算書は、会社の状況へのできるだけ確かな概観を与える

 よう明確かつ一覧できるよう作成されねばならない。」

 

 同条第2項によりHGBの規定は、補足的にのみ適用されるにすぎませんでした。そして、法定積立金および貸借対照表並びに損益計算書の最初の包括的分類についての規定のほかに、第133条において年度貸借対照表における価値記載額についても詳細に規定されました。資産については価値上限として調達原価又は製作原価が定められました。自己創設のれんの記載は明確に禁止されました。有償取得のれんは記載することが可能で、その際、相応の年度償却又は価値修正が行われねばなりませんでした(第133条第5項)。

 明確な最高限度評価額が固定資産および流動資産に存在し、流動資産については厳格な低価原則が存在する一方、価値下限については明確な規定は存在しませんでした。そして、法解釈の争点の1つとして、「会社の状況へのできるだけ確かな概観」への要請が、実質的な意味を持つのか宣言的意義(deklaratorische Bedeutung)を持つにすぎないのかが議論されました(Ballwieser 2018, S.2)。

  1937年株式法の規定は、一方的に債権者保護に向けられていたとされ、資産の過小評価による秘密積立金の設定が可能でした(Ballwieser 2018, S.2)。しかし、他方で、1937年株式法は、明示的分類規定および評価規定をより詳細に示し、情報提供又は顛末報告(Rechenschaft)を強く前面に出しました(Ballwieser 2018, S.5)。

 

3 1965年株式法(Aktiengesetz von 1965)

 1965年の株式法第149条第1項に下掲の改正一般規範が創設されました。

「年度決算書は、正規の簿記原則に対応しなければならない。年度決算書は、明確かつ

 概観的に作成されねばならず、評価規定の枠内で会社の財産および収益状況へのでき

 るだけ確かな概観を示さなければならない。」

 

 第152条には年度貸借対照表の項目についての規定を含み、第153条~第156条は、その評価を詳細に規定しました。1965年株式法は、結果として、取得原価主義から離反しませんでしたが、どのような最低価値で評価されねばならないかを明確化することによって、会計政策上設定可能な秘密積立金の設定を困難にしました。しかし、バルヴィーザーは、「適正な損益算定」がその明確な目的ではなかったとしています(Ballwieser 2018, S.2)。

 1965年株式法では、借方項目の明確な評価下限および引当金の制限によって零細株主の保護も試みられ、最高配当規則のほかに最低配当の確保の努力がなされました。

 また、1965年株式法は、連結決算書についての規定を初めて創設したが、国内子会社のみの連結を求めたに過ぎませんでした(第329条第2項第1文)。なお、AG又はKGaA以外の国内親企業については、後に、1969年開示法(Publizitätsgesetz)によって連結決算書作成義務が創設されました。

 

4 1985年会計指令法(Bilanzrichtlinien-Gesetz:BiRiLiG)

 1985年12月に、従来、株式法等の個別法に分散された商事法上の会計法が、ドイツ商法典(HGB)にまとめられました。すなわち、EC第4号指令(Richtlinie 78/660/EWG)、第7号指令(Richtlinie 83/349/EWG) および第8号指令(Richtlinie 84/253/EWG)を国内法化した会計指令法(BiRiLiG)によって、個人企業から多国籍企業集団に至る総ての企業に対する会計法がHGBに統合されました。

 なお、BiRiLiGをはじめとする下掲の法律は、いずれも、関連するHGB等の法律の特定の条文を改正・新設する「条項法」(Artikelgesetz)です。

 BiRiLiGは、1965年株式法の規定を引き継ぎ、かつ改正し、そしてEC第4号指令と第7号指令に基づき、注記・附属明細書(Anhang)および個別決算書並びに連結決算書の一般規範によって、資本会社の決算書の内容を拡大しました。なお、国外子会社の連結も求められています(HGB第294条第1項)。

 EC第4号指令の転換によるBiRiLiGにおける、いわゆる「英米モデル」の影響の最たるものは、同指令第2条の規定による「真実かつ公正な概観」(true and fair view)についての規定です。同条第5項には、例外の場合を除いて法律上の会計規定を適用すれば真実かつ公正な概観を提供しないことになるときは、当該規定から離脱しなければならないという条項があります。

 BiRiLiGによる改正後のHGBには、当離脱規定はなく、下掲のように、注記・附属明細書に追加的記載をすればよいだけです。HGB第264条第2項第1文および第2文では次のように規定されています。

「資本会社の年度決算書は、正規の簿記原則の考慮の下で、資本会社の財産、財務およ

 び収益状況の事実関係に対応した写像を伝えなければならない。特別な状況によっ

 て、年度決算書が第1文の意味での事実関係に対応する写像を伝えない場合、注記・

 附属明細書において付加的記載がなされねばならない。」

 

 結局、「真実かつ公正な概観」規定も、適正な損益算定に直接結びつくものではありませんでした。なお、HGB第297条第2項第1文~第3文は、内容的に同じことを連結決算書に要求しています。

 バルヴィーザーは、モクスター(A.Moxter)の所説を引用して、BiRiLiGによる改正後のHGBが求めているのは「適正な損益算定」ではなく財産呈示だとしています(Ballwieser 2018, S.3)。

 

文献

Ballwieser, Wolfgang 2018, "Fragewürdige Bilanzen - 1948, heute und in Zukunft ?," Der

 Betrieb(DB) Nr.1-2.

Richtlinie 78/660/EWG des Rates vom 25. Juli 1978 aufgrund von Artikel 54 Absatz 3  

 Buchstabe g) des Vertrages über den Jahresabschluß von Gesellschaften bestimmter

   Rechtsformen.

Richtlinie 83/349/EWG des Rates vom 13. Juni 1983 aufgrund von Artikel 54 Absatz 3

   Buchstabe g) des Vertrages über den konsolidierten Abschluß.

Richtlinie 84/253/EWG des Rates vom 10. April 1984 aufgrund von Artikel 54 Absatz 3

   Buchstabe g) des Vertrages über die Zulassung der mit der Pflichtprüfung der

   Rechnungslegungsunterlagen beauftragten Personen.

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)「はじめに」

企業会計原則」は、1949年(昭和24年)7月に公表され、日本の会計制度の近代化の中心となった(以下では昭和24年版「企業会計原則」と呼ぶ)。個人的なことであるが、筆者が財務会計に接したのは1976年(昭和51年)であった。筆者が学生時代の財務会計の教科書には巻末に必ず「企業会計原則」が掲載されていた。それは、そもそも「財務諸表論」という科目が「企業会計原則」の解説だったからである。そして、「企業会計原則」成立の中心となった黒澤清先生がご存命であり、学会の重鎮であった。「企業会計原則」の最終修正は1982年(昭和57年)に行われ、その後は、「放置」されてきた。したがって、筆者は「企業会計原則」がまだ「生きている」時代に学習を始めたわけである。まだ生きていた「企業会計原則」を知る世代として、度重なる制度改革によって現在では分からない「企業会計原則」がもたらした状況や気分のようなものについて、記録に残しておきたいという思いがある。
 昭和24年版「企業会計原則」は、後述するように、戦後占領期に作成・公表されたため、後の企業会計審査会ではなく企業会計制度対策調査会によって作成された。同時に公表された「財務諸表準則」を基礎とした、いわゆる「財務諸表規則」も後の大蔵省令ではなく、証券取引委員会規則として制定されていた。そのほか、昭和24年版「企業会計原則」には、当時の複雑な状況が絡んでいる。「企業会計原則」は、いわゆる戦後占領期に作成・公表されたが、そのルーツは1930年(昭和5年)の「財務諸表準則草案」としての「標準貸借対照表」等に辿ることができる。先述のように「企業会計原則」の最終修正が昭和57年なので、「企業会計原則」の歴史は、ほぼそのまま昭和会計史を意味する。その経緯をまず素描すれば、「標準貸借対照表」等は、1934年(昭和9年)「財務諸表準則」として確定される。作成に携わった人々の意図としては、当時具体的な計算規定を持たなかった商法の準則を目指していたが、結果としては、任意適用の準則に留まった。
 その後、昭和9年「「財務諸表準則」は、適用範囲は限られていたとはいえ、強制適用された陸軍の準則に影響を与え、さらに本来、「会社経理統制令」のための閣令として準備された1941年「企画院財務諸表準則草案」につながり、それは当時の商法の様式制定も兼ねる計画であった。ちなみに、黒澤は、戦前既に、財務管理委員会の委員として戦前の会計基準の作成に関わっていた。しかし、戦争の激化によって「企画院財務諸表準則草案」は、確定することなく敗戦を迎えた。「企業会計原則」は、こうした戦前からの財務諸表標準化の努力の延長線上に、そして日本が主権を失っていた戦後占領期という特殊な状況で生まれたのである。
 幸いなことに「企業会計原則」の成立については、「企業会計原則」の成立プロセスに関わる黒澤の個人所蔵の内部資料を含む各種資料が成蹊大学図書館に黒澤文庫として所蔵されている。そして、1948年11月25日、12月2日及び12月9日の「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録」が雑誌『会計』に掲載されている(企企業会計制度対策調査会1949「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録(1)~(3)」『会計』第56巻第3,5,7号)。また、自ら中心となった黒澤清が、雑誌『企業会計』に「資料:日本の会計制度」という16回の連載で詳述している(資料:日本の会計制度〈1〉~〈16〉」『企業会計』第31巻第1号~第32巻第4号)。しかし、この連載では、記載事実の一部重複や時間の前後関係の食い違いなどにより、明確でない個所が少なからずある。そうした点についは、黒澤の他の回顧録及び対談での発言や国立公文書館所蔵資料、国立国会図書館の憲政資料室「日本占領関係資料」等で補って、「企業会計原則」の成立について詳細に再現してみたい。
 日本の主権回復後に改正された「企業会計原則」は、昭和24年版「企業会計原則」と大きく異なる点がある。実は、昭和24年版「企業会計原則」には、一部の有価証券の時価評価規定もあったし、財務諸表の体系には、現在の株主資本等変動計算書にあたる「剰余金計算書」も含まれていた。すなわち、有価証券の時価評価は、1999年の「金融商品に係る会計基準」に始まるものではないし、株主資本等変動計算書も2006年の会社法施行によって初めて導入されたわけでもない。
 「企業会計原則」には、根強い取得原価主義が横たわるというイメージがあるが、それはあくまで主権回復後、1962年(昭和37年)商法改正によって、資産別資産評価規定が本法に導入されたのに合わせて改正された1963年(昭和38年)版「企業会計原則」以降の話である。なお、昭和24年版「企業会計原則」には、最初から英語版が存在し、そのタイトルは、” the Tentative Business Accounting Principles”である(雑誌『會計』第56巻第4号(1949年)掲載)。
 1999年の「金融商品に係る会計基準」では、「企業会計原則」に優先的に適用されるとして、「企業会計原則」の改正は行われず、部分的に効力を失ったまま放置されている。日本では、1962年(昭和37年)、1974年(昭和49年)そして1981年(昭和56年)の商法改正で商法本法に計算規定を取り込み、計算の基本法として整備した。しかし、2006年施行の会社法は、計算規定を含まず、計算の基本法としての位置を放棄した。そのため、今一度、日本の会計制度の基盤として「企業会計原則」を復活させる必要がある。本ブログでは、「企業会計原則」誕生の経緯とその後の変遷を辿る。それはそのまま戦後日本の会計制度近代化の足跡でもある。なお、本ブログの引用の一部については、表記を改めている。

日本型会計制度の歴史(日本固有の問題)①:「未払込株金」の表示問題

日本型会計制度の歴史(日本固有の問題)①:「未払込株金」の表示問題

 

 今回は,「「未払込株金」の表示問題を取り上げます。

 

「未払込株金」の表示問題

 日本の会計制度近代化における問題点を象徴しているのが、「未払込株金」の表示問題です。「標準貸借対照表」(1930年)において資本金の控除項目として貸方に計上するという表示法が提案され、それに対する反対も見越して、後述するように、その理由が示されました。にもかかわらず、経済界からの反対等により「財務諸表準則」(1934年)では、借方計上されることになりました。

 しかし、皮肉にも、軍需品の買上価格決定目的の陸軍貸借対照表明細表では、資本金の控除項目として貸方に計上されていました。その後、「未払込株金」の借方計上は、企画院「製造工業貸借対照表準則草案」にも引き継がれました。

 そして、戦後、総司令部「指示書」作成の折に、その元となった「財務諸表準則」(1934年)では借方計上されていたため、批判され、「標準貸借対照表」と同じく、資本金の控除項目として貸方に計上されました。既に財務諸表様式標準化の最初の試みで、問題点が認識され、合理的解決策が専門家により提示されていたにもかかわらず、日本の事情によって非合理的なルールが温存されてしまったのです。

 「指示書」は,「未払込資本金を貸借対照表の資産の側に示すことは日本の久しい間の習慣であった。この習慣は良き会計実務には是認されるものではない。」としていました。しかしこの問題は,日本の会計基準の歴史において上記のような紆余曲折がありました。

 「標準貸借対照表」(1930年)における「未払込株金」を貸方に資本金の内訳説明として未払込の事実を付記するという方式の理由は,以下の4つでした(商工省臨時産業合理局財務管理委員会「『未払込株金』を貸借対照表の借方に掲載せざる理由」『會計』第28巻第2号掲載)。

① 株式は本来,譲渡される有通性があり,したがつて払込義務者に異動を生じ,その確

 実性を確かめ難い点は他の債権と比べて大いに相異する。

② 未払込株金の徴収に当っては,これを回避しようとする株主が生じ,その全部を完全

 に徴収することが極めて困難な事例が少なくない。ゆえに未払込株金の全額を確実な

 担保力のある資産と認めるべきでない。

③ 他の債権に回収不確実な懸念がある場合,益金の一部を以て填補に充当することがで

 きる。しかし未払込株金は資本構成に関するものであるためこうした取扱は不可能で

 ある。

④ 未払込株金に確実な担保力がないという観念は商法中にも存在する。すなわち,第

 200条で社債発行の限度を払込済資本額とする規定である。

 

 「指示書」においては,「公称資本金」から「未払込株金」を控除して「払込済み資本金」を表示することが要求されており,商工省「標準貸借対照表」と同一の方式が求められるという皮肉な結果となりました。これについて,「指示書」は,その理由として次の2点を挙げています(「指示書」詳細 貸借対照表ニ関スル説明)。

① 未払込額はその払込徴収催告が行われるまでは徴収できないものであること。そして

 催告が行われるにしても,何時それが行われるのか明らかでないこと。

② 資本は払込資本金と未処分利益とを加えたものであり,資産に対する株主の持分をあ

 らわす。したがって,催告済の未払込額を資産に計上することには若干の道理が認め

 られるにしても,催告未済の未払込額を資産計上する会計処理法は正当なものでない

 こと。

 

 ①に挙げられた理由は,前掲の財務管理委員会による「『未払込株金』を貸借対照表の借方に掲載せざる理由」の①,②と同じく,徴収の困難性の指摘です。②については,財務管理委員会の③,④の理由が「債権」という法的観点によるものに対して,「資本概念」という会計的観点からの理由付けという点で異なるものの,最初に挙げられた徴収困難という実際的観点に加えて,論理的整合性の欠如に対する批判という点では共通しており,20年近く以前の,日本の専門家による不合理性の指摘が再び繰り返される事になりました。

 このように,未払込株金の貸借対照表借方計上の問題性はずっと以前から日本の専門家によって認識されていました。その後,1948年(昭和23年)に行われた商法の一部改正では,未払込株金の表示問題のそもそもの原因というべき,株金分割払込制が廃止され,全額払込制度が採用されました。その結果,「未払込株金」という項目自体が消滅しました。当改正に関与した鈴木竹雄の対談における発言によれば,当商法改正は「いうことをきかざるを得ないGHQ至上命令」であったといいます(鈴木・竹内1977,136頁)。当対談では,株金分割払込制と財閥支配の関係などが廃止命令の理由として挙げられていますが,未払込株金の表示問題も当命令の原因と考えられます。未払込株金の表示問題は,結局,GHQによる命令という文字通りの外圧によって解消したことになります。

 

文献

鈴木竹雄・竹内昭夫1977『商法とともに歩む』商事法務研究会。