昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)「はじめに」

企業会計原則」は、1949年(昭和24年)7月に公表され、日本の会計制度の近代化の中心となった(以下では昭和24年版「企業会計原則」と呼ぶ)。個人的なことであるが、筆者が財務会計に接したのは1976年(昭和51年)であった。筆者が学生時代の財務会計の教科書には巻末に必ず「企業会計原則」が掲載されていた。それは、そもそも「財務諸表論」という科目が「企業会計原則」の解説だったからである。そして、「企業会計原則」成立の中心となった黒澤清先生がご存命であり、学会の重鎮であった。「企業会計原則」の最終修正は1982年(昭和57年)に行われ、その後は、「放置」されてきた。したがって、筆者は「企業会計原則」がまだ「生きている」時代に学習を始めたわけである。まだ生きていた「企業会計原則」を知る世代として、度重なる制度改革によって現在では分からない「企業会計原則」がもたらした状況や気分のようなものについて、記録に残しておきたいという思いがある。
 昭和24年版「企業会計原則」は、後述するように、戦後占領期に作成・公表されたため、後の企業会計審査会ではなく企業会計制度対策調査会によって作成された。同時に公表された「財務諸表準則」を基礎とした、いわゆる「財務諸表規則」も後の大蔵省令ではなく、証券取引委員会規則として制定されていた。そのほか、昭和24年版「企業会計原則」には、当時の複雑な状況が絡んでいる。「企業会計原則」は、いわゆる戦後占領期に作成・公表されたが、そのルーツは1930年(昭和5年)の「財務諸表準則草案」としての「標準貸借対照表」等に辿ることができる。先述のように「企業会計原則」の最終修正が昭和57年なので、「企業会計原則」の歴史は、ほぼそのまま昭和会計史を意味する。その経緯をまず素描すれば、「標準貸借対照表」等は、1934年(昭和9年)「財務諸表準則」として確定される。作成に携わった人々の意図としては、当時具体的な計算規定を持たなかった商法の準則を目指していたが、結果としては、任意適用の準則に留まった。
 その後、昭和9年「「財務諸表準則」は、適用範囲は限られていたとはいえ、強制適用された陸軍の準則に影響を与え、さらに本来、「会社経理統制令」のための閣令として準備された1941年「企画院財務諸表準則草案」につながり、それは当時の商法の様式制定も兼ねる計画であった。ちなみに、黒澤は、戦前既に、財務管理委員会の委員として戦前の会計基準の作成に関わっていた。しかし、戦争の激化によって「企画院財務諸表準則草案」は、確定することなく敗戦を迎えた。「企業会計原則」は、こうした戦前からの財務諸表標準化の努力の延長線上に、そして日本が主権を失っていた戦後占領期という特殊な状況で生まれたのである。
 幸いなことに「企業会計原則」の成立については、「企業会計原則」の成立プロセスに関わる黒澤の個人所蔵の内部資料を含む各種資料が成蹊大学図書館に黒澤文庫として所蔵されている。そして、1948年11月25日、12月2日及び12月9日の「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録」が雑誌『会計』に掲載されている(企企業会計制度対策調査会1949「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録(1)~(3)」『会計』第56巻第3,5,7号)。また、自ら中心となった黒澤清が、雑誌『企業会計』に「資料:日本の会計制度」という16回の連載で詳述している(資料:日本の会計制度〈1〉~〈16〉」『企業会計』第31巻第1号~第32巻第4号)。しかし、この連載では、記載事実の一部重複や時間の前後関係の食い違いなどにより、明確でない個所が少なからずある。そうした点についは、黒澤の他の回顧録及び対談での発言や国立公文書館所蔵資料、国立国会図書館の憲政資料室「日本占領関係資料」等で補って、「企業会計原則」の成立について詳細に再現してみたい。
 日本の主権回復後に改正された「企業会計原則」は、昭和24年版「企業会計原則」と大きく異なる点がある。実は、昭和24年版「企業会計原則」には、一部の有価証券の時価評価規定もあったし、財務諸表の体系には、現在の株主資本等変動計算書にあたる「剰余金計算書」も含まれていた。すなわち、有価証券の時価評価は、1999年の「金融商品に係る会計基準」に始まるものではないし、株主資本等変動計算書も2006年の会社法施行によって初めて導入されたわけでもない。
 「企業会計原則」には、根強い取得原価主義が横たわるというイメージがあるが、それはあくまで主権回復後、1962年(昭和37年)商法改正によって、資産別資産評価規定が本法に導入されたのに合わせて改正された1963年(昭和38年)版「企業会計原則」以降の話である。なお、昭和24年版「企業会計原則」には、最初から英語版が存在し、そのタイトルは、” the Tentative Business Accounting Principles”である(雑誌『會計』第56巻第4号(1949年)掲載)。
 1999年の「金融商品に係る会計基準」では、「企業会計原則」に優先的に適用されるとして、「企業会計原則」の改正は行われず、部分的に効力を失ったまま放置されている。日本では、1962年(昭和37年)、1974年(昭和49年)そして1981年(昭和56年)の商法改正で商法本法に計算規定を取り込み、計算の基本法として整備した。しかし、2006年施行の会社法は、計算規定を含まず、計算の基本法としての位置を放棄した。そのため、今一度、日本の会計制度の基盤として「企業会計原則」を復活させる必要がある。本ブログでは、「企業会計原則」誕生の経緯とその後の変遷を辿る。それはそのまま戦後日本の会計制度近代化の足跡でもある。なお、本ブログの引用の一部については、表記を改めている。