昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史:はじめに

はじめに

 昭和という時代は,日本の会計近代化にとって重要な時代でした。日本における会計・監査規制の近代化は,商工省臨時産業合理局財務管理委員会による「標準貸借対照表」(以下では、商工省「標準貸借対照表」と略します)として1930(昭和5)から始まりました。その後,様々な紆余曲折を経て,経験が蓄積され,日本型会計制度として確立しました。

 日本の会計制度は,その近代化のプロセスにおいて常に欧米の動向を摂取する形で進められてきました。例えば,商工省「標準貸借対照表」に対して,既にアメリカ会計士協会(AIA)の特別委員会の貸借対照表に関するモデル・ステートメント「財務諸表の検証」("Verification of Financial Statements")が大きな影響を与えたといいます(黒澤清1990『日本会計制度発達史』財経詳報社,207頁)。さらに,1934年の商工省「財務諸表準則」に対して,最も大きい影響を及ぼしたものは,1917年4月,アメリカ連邦準備局によって公表された「決算諸表の標準手続」("Approved Method for the Preparation of Balance-Sheet Statement")でした(黒澤上掲書,447頁)。

 また、昭和初期から,日本では商法会計の枠外で,経済官庁主導で会計制度の整備が図られました。この点については,当時から,そのこと自体,日本の特殊性・後進性の現れと理解されていました。しかし,商工省臨時産業合理局の財務管理委員会のメンバーは,会計専門家としての計理士のほか,財務諸表作成者である企業の経理担当者,経済団体の代表,会計学者,商法学者から構成されていました。すなわち,当時の委員は,渡辺てつ蔵(東京商工会議所),吉田良三(東京商科大),永原伸雄(三菱),魚谷伝太郎(理研工業),太田哲三(東京商科大),間瀬三郎(三井鉱山),東せき五郎(計理士)でした。

 これらの構成メンバーは,今日の米国の財務会計基準審議会(FASB)や英国の会計基準審議会(ASB)の構成メンバ-に類似しています。もちろんこれをもって,そうした英米の制度の先取りといった性格のものではないことはいうまでもありません。しかし,結果として多様な専門家が草案を作り,各界の意見聴取の後,確定稿を公表するというプロセスは,現在の英米の制度に類似のものでした。そうした先進性を当時の日本の制度が備えていたという評価を与えることは無意味ではないでしょう。

 従来,戦前・戦後占領期の日本の会計基準は等閑視され,現行の会計制度の,時間軸からの評価はなおざりにされてきました。グローバリゼーションのなかにあって,日本の必然から生まれた日本型会計制度の分析が重要だと思います。本ブログでは、戦前・戦後昭和期の日本型会計制度の確立の過程を追ってみたいと思います。なお,引用の一部については,表記を改めています。

 

目次(2023年1月9日現在)

日本型会計の歴史:はじめに

日本型会計制度の歴史(戦前編)Ⅰ:商工省「財務諸表準則」未定稿

日本型会計制度の歴史(戦前編)Ⅱ:商工省「財務諸表準則」等

日本型会計制度の歴史(戦前編)Ⅲ: 企画院「製造工業財務諸準則草案」

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)①:「工業会社及ビ商事会社ノ財務諸表作成

    ニ関スル指示書」

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)②:幻の「企業会計基準法」構想

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)③:「企業会計原則」の誕生

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)④:シャウプ勧告と「財務諸表規則」

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)⑤:安本「財務諸表準則」と証券委員会規則第18号「財務諸表規則」