昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)④:シャウプ勧告と「財務諸表規則」

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)④:シャウプ勧告と「財務諸表規則」

 

 今回は,「シャウプ勧告と『財務諸表規則』」を取り上げます。

 

シャウプ勧告と「財務諸表規則」

 1947年(昭和22年)3月28日に「証券取引法」が公布されましたが、証券取引委員会に関する規定(同年7月23日施行)を除いて実際上未執行のまま全面改正されました。1948年(昭和23年)4月13日に改正「証券取引法」が公布され、1948年5月7日に施行されました。この改正法の施行により、証券取引委員会は、独立の行政官庁として権限を強化、改組されました。改正法の193条には、以下の規定がありました。

「証券取引委員会は、この法律の規定により提出される、貸借対照表損益計算書その

 他の財務書類が計理士の監査証明を受けたものでなければならない旨を証券取引委員

 会規則で定めることができる。」

 

 この規定によって、証券取引法の適用会社が、商法による計算書類以外に証券取引法上の財務書類を作成する義務を負う法的基礎が提供されました。その後、1950年(昭和25年)3月29日に改正「証券取引法」が公布・施行されました。これにより、「証券取引法」の規定により提出される財務書類の用語、様式及び作成方法を定める権限が証券取引委員会に付与されました。今日的観点からすると、公認会計士制度と「財務諸表規則」の基礎となった「企業会計原則」の設定とは、相互の連携のもとに進められていたように想像しがちです。例えば「企業会計原則の設定について」では、以下のように述べられているからです。

企業会計原則は、公認会計士が、公認会計士法及び証券取引法に基き財務諸表の監査

 をなす場合において従わなければならない基準となる。」(二、2)

 

 しかし、実際にはそうではなく、黒澤清は次のようにいっています。

公認会計士制度のことは、当時大蔵省の理財局長だった伊原隆氏がG.H.Q.(連合国総司

 令部:筆者)の要請を受けて、証券取引法の制定に伴い、これを制度化しようというこ

 とになり、その頃の計理士会の長老数氏(たとえば中瀬勝太郎氏、島田宏氏など)およ

 び私ども会計学者に相談をかけたのがきっかけになっています。はじめは、会計士の

 問題と会計原則の問題とはまったくかかあり会い(ママ)はありませんでした。」(番場ほ

 か1974、5頁)

 

 1950年に証券取引委員会規則第18号として「財務諸表規則」が制定されましたが、この「財務諸表規則」の設定は、アメリカの後押しを受けていました。すなわち、「財務諸表規則」の制定に関しては、税制に関するシャウプ勧告が重要な関わりをもっていました。  

 1949年(昭和24年)5月にコロンビア大学のシャウプ(C.S .Shoup)を団長とするシャウプ税制調査使節団(Shoup Mission)が来日した。当使節団の主目的は、日本の租税制度を研究し、その結果として税制改正のための勧告を行うことでした。精力的な調査と数々の政府との折衝の後、当使節団の「第1次報告書」(“Report on Japanese Taxation”)、いわゆる「勧告」が3段階に分けて公表されました。第1が同年8月26日のシャウプの記者会見による「勧告」の概要、第2が9月15日の「勧告」本文の公表、そして第3が10月3日の「附録」(Appendix)の公表でした。「附録」の中に次のような記述があります。

「証券取引委員会も経理基準を向上するために指導的役割を演じなければならない。同

 委員会は、種々の会計上の書類の様式を規定する権限をもっているから、経理習慣の

 発展に大いに貢献し得る優れた立場にある。同委員会は会計基準を規則として公布す

 るようにすべきである。(旧字は略字に換えています。)」(神戸都市問題研究所地方財

 政制度資料刊行会編1983、日本税制報告書、280頁)

 

 しかし、証券取引委員会に実際に「財務諸表規則」を作る意思も能力もなかったとして、黒澤は次のようにいっています。

「…何分にもS.E.C.(証券取引委員会:筆者)と云う所は、その様な事に対しては全然無知で、我々が作ってくれたらとり入れようと云っているが、実際にはこれは我々がつくるのではなく各会社が民主的にこれをつくるものでなければならないのでありまして、我々としても又そうとなる様に努力しているが何分S.E.C.は証券取引所の幹部と大部分大蔵省の御役人によって構成され、云わば大蔵省の出店のようなものであります。」(黒澤1949)

 

 なお、黒澤は、事前にシャウプ勧告と「財務諸表規則」の基礎となった「企業会計原則」の間に意思疎通があったとして、次のようにいっています。

「…シャウプ博士は、その報告書に、日本では会計原則の確立のために委員会が設置さ

 れている。青色申告の基礎となるものは、確立された会計原則でなければならないと

 書いているのです。

  このシャウプの言葉は、私どもを大いにはげましてくれました。

…(中略)…

  後年、会計原則(昭和24年7月)とシャウプ勧告(昭和24年6月)とを、歴史的に比較調

 査する人があるとしたら、不思議に思うかもしれません。なぜならシャウプ勧告のほ

 うが会計原則よりも前に発表されているのに会計原則の公表が織り込みずみになって

 いるかということです。しかしそれは、事前に両者の間に意思疎通があったからです

 よ。」(番場ほか1974、8頁)

 

 シャウプは、1950年(昭和25年)7月31日に再来日して、「勧告」の実施状況を調査し、第2次勧告を公表しました。そこでは、「財務諸表規則」に関する、より明確な以下のような勧告が行われました。

「証券取引委員会は、取引所に登録されている株式を所有する法人の貸借対照表および

 損益計算書の検査を要求する規則をできるだけ早く(おおむね昭和26年4月以前に)

 施行すべきである。(旧字は略字に換えています。)」(神戸都市問題研究所地方財政

 度資料刊行会編1983、第二次日本税制報告書、76頁)

 

  そして、1950年9月28日に、「財務諸表準則」を基礎に「企業会計原則」の一般原則の一部を取り込んで、「財務諸表規則」が公布されました。「企業会計基準法」の頓挫(日本型会計制度の歴史⑤:幻の「企業会計基準法」構想参照)で法的裏付けの途を見失った財務諸表の様式標準化が、税制に関する勧告によって可能性が開かれるという「いびつな」形を採って実現するに至ったのです。

 

文献

黒澤清1949「財務諸表原則及び準則について」口述筆記(成蹊大学附属図書館『黒澤文

 庫目録Ⅱ―第一次史 料-』2000年、整理番号Ⅱ-5 5)。

神戸都市問題研究所地方行財政制度資料刊行会編1983『シャウプ使節団日本税制報告

 書』勁草書房

番場嘉一郎ほか1974「〈座談会〉企業会計四半世紀の歩み」『企業会計』第26巻

 第1号。