昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)③:「企業会計原則」の誕生

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)第3回 「企業会計原則」の誕生

 

 今回は,「企業会計原則」の誕生を取り上げます。なお,引用の一部については,表記を改めています。

    1949年(昭和24年)7月9日、「企業会計制度対策調査会」は、黒澤第1部会長の草案を中心に進められてきた研究討議の結果を「企業会計原則」と「財務諸表準則」とに分けて中間報告として発表しました。連合国最高司令官総司令部(General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers;以下ではGHQ/SCAPと略称します)の「工業会社及ビ商事会社ノ財務諸表作成ニ関スル指示書」(1947年7月: 以下では「指示書」と略称します)の発出から「企業会計原則」の公表まで(1949年7月)の動きがわずか2年の間に起こったことに驚かされます。

 「企業会計原則」の中間報告書の作成のための討議の速記録が雑誌『会計』に掲載されています(『会計』第56巻第3,5,7号)。こうした討議プロセスの公表自体,民主化が重視された当時の状況の現れでしょう。1948年(昭和23年)12月2日の「調査会」会合に提出された「企業会計原則」の原案のうち,一般原則と損益計算書原則の一部を次に掲げます(企業会計制度対策調査会1949, 44-45頁)。

一般原則

企業会計は企業の財政状態及び経営成績に関して,真実な報告を提供するものでなく

 てはならない。 

企業会計は正規の会計原則に従って処理されなければならない。

企業会計はすべての取引につき,正規の簿記の原則に従って,正確な会計帳簿を作製

 しなければならない。 

企業会計は,財務諸表により,利害関係人に対して必要な会計事実を明瞭に表示し,

 企業の状況に関する判断を誤らせないようにしなければならない。 

企業会計は,その処理の原則及び手続を毎期継続して適用し濫りにこれを変更しては

 ならない。 

6 偶発債務の記載の原則(保守主義の原則) 

減価償却法の原則(期間的費用配分の原則)

8 Capital Surplus と Earned Surplus の区分の原則(剰余金の原則)

 

損益計算書原則

1のB 株主総会のため,信用目的のため,租税目的のため等種々の目的のために異な

 る形式の損益計算書を作成する必要がある場合,それらの計算書の内容は信頼しうる

 会計記録に基づいて作成せられたものであって,政策の考慮のため事実の真実なる表

 示をゆがめてはならない。

 

 上記の原案のうち,最終的に一般原則の2と7は削除されました。残りの6つの一般原則については,それぞれ独,米等にルーツを持つことが,速記録として記録された討議のプロセスにおいて明らかにされています(企業会計制度対策調査会1949(2), 47-50頁)。

 原案では損益計算書原則に置かれていた「単一性の原則」は,日本の事情を反映した原則として一般原則に包含されることになります。それは,以下のような経緯によるものでした。

「太田 秘密積立金を設ける方法としてはどういう手続がとられておりますか。

金子 その場合,第一に固定資産の償却を相当強くやること,第二に手持資材もできれ

 ば一割程度は格安にして置く,第三には積立金仮収入,未済諸掛等の貸方勘定を多分

 に余裕を持たせて置くと云うような方法をとっています。…

岩田 この問題は損益計算書原則の1のB『政策の考慮のため事実の真実なる表示を

 ゆがめてはならない』ということと大分抵触してくるおそれがあります。日本では株

 主総会で利益を処分するということになりますから,どうしてもその前に会社のた

 め,或いは株主の将来のためを考えれば,今言ったような政策的な考慮を入れなけれ

 ばならんと思います。従って,大体企業は今期はいくら位配当したい,この位の適正

 な利益を出したいということが決まっているので,逆に実際の会計記録との調整をと

 る必要がある。…(略)…

太田 つまり,決算の方法にプロフォーマの決算ということがあるのです。これは決算

 の試算です。試算決算ということはどうしてもやらなければならないと思います。こ

 れはBのところにこの内容を挙げなければならないが,これが外の原則で緩和できる

 ようなものを入れておくのがいいじゃないか。つまりBだけで独立したものというこ

 とになれば,非常に厳格に適用されますから,保守主義の原則のところに説明がつ

 けばいいことにして,少なくとも事実の歪曲はいけないと思います。事実をどうみる

 かという見方と判断の問題ですね。

  …(略)…

黒澤 そこで実際家の必要とする配当の平均化の問題等を解決するには,保守主義の原

 則をいちおう或範囲において認めるが,健全な保守主義の原則すらも逸脱する如き会

 計処理はこの会計原則では是認しないことにして,限界を明らかにすることが必要で

 しょう。

  …(略)…

岩田 だから保守主義の濫用をチェックするようなものを大体置いておかなければいか

 んと思います。

清島幹事 大体保守主義と真実性,明瞭性との妥協というところじゃないでしょうか。

上野 そうなのです。この1のBは結局,一般原則に入らなければならない問題でしょ

 う。」(企業会計制度対策調査会1949(2), 65-67頁)

 

 株主総会での利益処分の決定という日本の事情は,2002年(平成14年)商法改正により,ようやく一部の株式会社(委員会等設置会社)において変化し、また、2006年の「会社法」施行により、より広い範囲の株式会社で剰余金の分配に関する決定を取締役会で行えるようになりました。会社の仕組みが異なる以上,いくら「アメリカ型」の会計制度を移植しようとしても,そのまま根付くことはあり得ません。日本化のための「改造」が行われるのは当然でしょう。「企業会計原則」一般原則のうち,「単一性の原則」については,日本の事情を反映した調整の結果生まれた,独自の原則という積極的評価も可能でしょう。

 今日の財務会計の教科書においても、「単一性の原則」の説明が今ひとつわからないものになっているのは、上掲の事情を説明しようがないためといえるでしょう。

 

 「企業会計原則」の前文の「企業会計原則の制定について」において、「企業会計原則」の目的の一つとして以下のものが挙げられています。

企業会計原則は、将来において、商法、税法、物価統制令との企業会計に関係ある諸

 法令が制定改廃される場合において尊重されなければならないものである。」

 

   この点について黒澤は後に次のように述べています。

「周知のように企業会計原則は、商法の改正にさきだち、商法における会計に関する規

 定の改正に対する勧告書の意味を含めて公表されたものである。すでにのべたように

 この勧告は、充分には考慮されなかったけれども、幾分かは反映されたのである。」

 (黒澤1954、3頁)

 

  「幾分か反映された」点にとしては、1950年(昭和25年)の商法改正審議中に太田哲三と黒澤清とが商法改正委員会において法定準備金について資本取引と損益取引分離の考え方を入れてほしいと要望し、それが受け入れられました(新井ほか1978、22-23頁)。「企業会計原則」がこうした性格をもったのは、「企業会計基準法」以来の遺産の承継であったといいます(黒澤1979/80〈8〉147頁)。

  このように、「企業会計基準法」は「企業会計原則」につながったのに対し、「指示書」の改訂は「財務諸表準則」につながりました。黒澤は次のように述べています。

「間において私は、GHQのヘッスラーに会見して、『あなたから頼まれた指示書の修正

 の件は、我々が今後とりあげることを企てている会計原則のなかに織りこみますか

 ら、諒承してもらいたい』と申し入れました。こうした経緯で『一般に認められた会

 計原則』のなかに指示書の趣旨を取り入れて、財務諸表準則が付加されました。会計

 原則の設定を目指す新しい発想で出発するとともにこうしてヘッスラーも我々の要望

 を承諾するにいたりました。」(新井ほか1978、18頁)

 

 1950年(昭和25年)には、「財務諸表準則」を基礎に「企業会計原則」の一般原則の一部を取り込んで、証券取引委員会規則第18号として「財務諸表規則」が制定されました。「財務諸表規則」は、大蔵省理財局の当時の課長補佐 原秀三によって、番場嘉一郎(一橋大学)、飯野利夫(一橋大学)、江村稔(東京大学)といった会計学者の援助を受けて作られました(番場ほか1974,10頁)。昭和5年(1930年)の「標準貸借対照表」に始まる財務諸表の様式統一の制度化の試みは,これによって初めて実現しました。

 「企業会計原則」と共に1949年に公表され、1954年(昭和29年)には、「企業会計原則」と同時に改正された「財務諸表準則」は、「企業会計原則」の1963年(昭和38年)改正の折には、改正が見送られ、その後有名無実の存在と化してしまいました。それは、大蔵省令「財務諸表規則」の制定という理由からではなく、法務省令「計算書類規則」の制定によるものだったということです(黒澤1973、109頁)。

  「3部作」(黒澤ほか1962、175頁)と呼ばれる「企業会計原則」、「監査基準」及び「原価計算基準」は、いずれも黒澤清、岩田巖、中西寅雄という会計学者が中心となって作成されました。さらに、例えば、前述のように「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録」が、雑誌『会計』に掲載されました(企業会計制度対策調査会1949参照)。また、「監査基準」については、会計基準審議会の了解のもと、その原案が日本会計研究学会に内示され(新井1999、23頁)、日本会計研究学会第9回大会で統一論題として議論されました(日本会計研究学会1950参照)。「原価計算基準」の場合、その「仮案」が日本会計研究学会第16回大会で配布され、統一論題としてその問題点が議論されました(日本会計研究学会1957参照)。このように、学会の関与というスタイルは戦後にも継承されました。

 GHQ/SCAPから出された「指示書」は勿論、「企業会計原則」等も、ヘッスラー等のGHQ/SCAPに所属する担当官との折衝により成立しました(黒澤1979/80、千葉1998第4,5章参照)。しかし「指示書」も「換骨奪胎」された(番場ほか1974、6頁)とはいえ、商工省「財務諸表準則」をもとに作られました。「企業会計原則」は、英米の会計の調査を基礎に「調査会」の度重なる審議の上で、日本の事情を織り込みながら作成されたのです。戦後占領期の日本に関する著述の中で、ダウアー(J. Dower)は次のようにいっています。

「戦後『日本モデル』の特徴とされたものの大部分が、じつは日本とアメリカの交配型

    モデルa hybrid Japanese-American modelというべきものであったことがわかる。こ

 のモデルは戦争中に原型が作られ、敗戦と占領によって強化され、その後数十年間維

 持された。」(三浦・高杉訳2004、418頁)

 

 戦後占領期における「企業会計原則」の誕生は、ダウアーのいう「日本とアメリカの交配型モデル」の典型であると言えるでしょう。

 

文献/資料

新井清光ほか1978「〈座談会〉企業会計制度の基盤」『企業会計』第30巻第12号。

新井益太郎1999『会計士監査制度史序説 』中央経済社

企業会計制度対策調査会1949「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記

 録(2))」『會計』第56巻第5号。

久保田秀樹『「日本型」会計規制の変遷』中央経済社,2008年。

黒澤清1954「企業会計原則の部分修正並に企業会計原則注解について」『企業会計

 第6巻第8号。

---1979/80「資料:日本の会計制度〈1〉~〈16〉」『企業会計』第31巻第1号~

 第32巻第4号。

黒澤清ほか1962「〈座談会〉原価計算基準の研究」『産業経理』第22巻第12号。

千葉準一1998『日本近代会計制度-企業会計体制の変遷』中央経済社

日本会計研究学会1950「〈円卓討論〉監査基準」『会計』第58巻第2号。

――――1957「〈円卓討論〉原価計算基準仮案をめぐって(1)(2)」『会計』第72巻

 第4,5号。

番場嘉一郎ほか1974「〈座談会〉企業会計四半世紀の歩み」『企業会計』第26巻

 第1号。

三浦陽一・高杉忠明訳2004『敗北を抱きしめて[増補版] (下)』岩波書店