昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

学問としての会計学

 私が学生の頃(45年前)の会計学は、今と異なる点が3つあります。まず、当時の商法(会社法が独立する前の商法)には、計算規定、つまり会計に関する規定が含まれていました。日本の商法のモデルとなったドイツ商法は今でも計算規定を含んでいます。当時の日本の会計学の大きなテーマの1つが、商法の計算規定に関する会計学サイドからの批判・要請でした。戦後昭和期に大きな商法改正が、37年、49年、56年に行われ、商法の計算規定が整備されました。これらの商法改正については、本シリーズの「商法・会社法②、③、⑤」で解説しています。
 もう1つの違いは、今ほど会計基準が整備されていなかったという点です。将来整備されるべき会計基準に対する要請が会計学の大きな使命でした。そして、3つ目の相違は、国際会計基準が関係国の会計士団体である国際会計基準委員会(IASC)の単なる「提言」に留まっていたことです。したがって、国際的な会計基準に関する研究や提言が盛んに行われていました。つまり、未開拓の荒野が広がっていました。
 現在はどうかと言うと、会社法には実質的な計算規定はなく、会計基準は、企業会計基準委員会によって整備されています。国際会計基準についても、国際会計基準審議会(IASB)によって整備され、多くの国で強制適用されています。
また、実証研究といわれる分野もまだ始まったばかりで、日本ではまだほとんど行われていませんでした。そして、特にアメリカの会計基準に関連する文献が日本語訳されていました。当時のアメリカの主要な会計基準に関する文献、例えば、アメリ会計学会(AAA)の1936年、1941年、1957年の会計基準試案、1966年の「基礎的会計理論」(ASOBAT)、1977年の「理論承認報告書」などは日本語訳で読むことができます。1966年の「基礎的会計理論」(ASOBAT)と1977年の「理論承認報告書」については、本シリーズの「会計学名著紹介①:アメリ会計学会(AAA)『基礎的会計理論』(“ASOBAT”)1966年」と「会計学名著紹介⑤:アメリ会計学会(AAA)『会計理論及び理論承認』1977年」をご覧ください。
 また、会計学の教科書では、ドイツ会計学的説明、すなわちシュマーレンバッハ等のドイツ動態論的な説明が広く行われていました。シュマーレンバッハについては、本シリーズの「会計学名著紹介②:シュマーレンバッハ『十二版・動的貸借対照表論』1956年」をご覧ください。
当時の会計学の教科書では「企業会計原則」の解説が多くのページを占め、巻末には付録として「企業会計原則」自体が掲載されていました。「企業会計原則」については、「会計学名著紹介④:「企業会計原則」1949年」をご覧ください。学位についても、まだ「会計学博士」はなく、会計学で学位を取得しても「経営学博士」や「商学博士」でした。
 当時は、前掲の「基礎的会計理論」(ASOBAT)を出発点とした「情報会計論」が、先端の研究分野でした。複式簿記を基礎とする、いわゆる「原価モデル」を越えた時価情報等を財務報告に取り込むことが次々と行われていました。
 本ブログでは、1970年代と1980年代の日本の学問としての会計学についてお話ししたいと思います。