昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(原価計算)①:「日本原価計算協会」

日本型会計制度の歴史(原価計算)第1回 「日本原価計算協会」

  今回は,「日本原価計算協会」を取り上げます。

 

日本原価計算協会

 原価計算準則整備と共に原価計算制度の啓蒙・普及のために、1941年(昭和16年)9月13~14日に一橋講堂において日本原価計算協会の創立及び発会式が行われました。同協会は多数の会社からの寄付による財団法人でした。役員は以下の通りでした。

会 長  伍堂卓雄(貴族院議員・工学博士)

理事長  中山太一(貴族院議員)

常務理事 西垣富治(元福島高商教授)

理 事  太田哲三(東京商科大学教授)ほか29名

監 事  三輪雅信(三井鉱山株式会社常務取締役)

     吉田良三(東京商科大学名誉教授)

評議員  青木倫太郎(関西学院大学教授)ほか43名

 

「日本原価計算協会規約」には、協会の目的及び事業が以下のように定められていました(『原価計算』第1巻第1号、70頁)。

 第2章 目的及び事業

第4条 本会は原価計算を中心として経営計算及び能率に関する研究指導並びに普及

 を行うを目的とす。

第5条 本会の事業は左の如し。

   1.研究及び調査

   2.指導及び養成

   3.普及及び教育

   4.図書雑誌刊行

   5.其の他 

 

 同協会の事業計画は、以下の通りでした(『原価計算』第1巻第1号、70頁)。

 ①毎月、雑誌『原価計算』を発行し、之を会員に配布すること。

 ②原価計算に関する資料又は文献を集め、之を刊行す。

 ③地方枢要の地に支部を設け、実務家を中心に研究会を開き、会員相互の啓発をはか

  ること。

 ④講演会を又は講習会を開くこと。

 ⑤ラジオ講座を開設すること。

 ⑥原価計算係及び原価計算指導員の養成。

 ⑦原価計算指導巡回班及び展覧会の設置

 ⑧原価計算制度実施状態の調査及び報告蒐集

 ⑨経理事務に関する質疑応答

 ⑩原価計算相談所の設置

 ⑪原価計算図書館の設置

 ⑫政府及び統制会と連絡を保ち、原価計算制度の実施、経営基準の設定及び監査上の

  中心機関たらしむこと。

 

 日本原価計算協会の機関誌として雑誌『原価計算』が1941年(昭和16年)12月に創刊されました。当誌は、第1巻(1941年)第1号~第5巻(1945年)第2号まで発行されました。

 同協会は、原価計算に関する研究会、講習会のほか、原価計算展覧会を東京(昭和17年9月10~17日、於銀座三越)はじめ全国各地で開催しました(原価計算編集部1942)。

 さらに、事業計画に謳われた「原価計算係及び原価計算指導員の養成」を果たすべく原価計算係養成所が開設されました。「原価計算係養成所設立要綱」の「設置の要領」によれば、原価計算係養成機関は、将来、原価計算学校として設立する予定であるが、差し当たり養成所を設置するとされていました。なお、養成所は、短期養成部と長期養成部とに分けられ、前者は主として原価計算係を、後者は原価計算係指導員を養成することを目的とし、まず短期養成部を開設し、その後長期養成部を併設し、長期養成部の卒業者は、原価計算士の名称を得ることができるようその筋の諒解を求めることとされていました。

 「設置の要領」による短期養成部の科目並びに時間数は、以下の通りでした。

原価計算総論     30時間   経営統計        4時間

工場会計       10時間   財務諸表       10時間

原価計算演習     60時間   工業管理       14時間

同  見学      20時間   事務管理        4時間

同  研究      12時間   経営監査        6時間

勘定組織        6時間   経済統制法       4時間  

減価償却        6時間   税 法         4時間

予算統制及び標準原価  6時間   産業事情        4時間

 

 第1期原価計算係養成所は、1942年(昭和17年)9月1日に開講されました。講習は、毎朝8時から午後3時又は4時まで、日曜祭日以外は毎日行われました。6週間の養成日程を終え、卒業試験にパスした者に修了証書が与えられました。なお、第10期原価計算係養成所については、1944年(昭和19年)12月14日に卒業式が行われました。

 日本原価計算協会の活動は、将来、原価計算学校の開設も予定された原価計算係臨時養成所においての専門家養成や相談所の開設、研究会・講習会の開催に及びました。さらに、機関誌での準則等の解説および実施手続作成案の提示がなされました。その出版部数は、毎号増刷で平均5万部は下ることがなかったといいます(今井1976〈2〉、62頁)。また、開催前には、その意義さえ疑問視された原価計算展覧会が全国の百貨店等で開かれ、しかも盛況だったようです。

 なお、日本原価計算協会は、1946年5月に、名称を産業経理協会と改め、「その研究分野を原価計算に止めず、広く一般産業の経営財務並びにその経理に広げ、計数面から我が国産業の再建と将来の発展に貢献せんが為」新発足しました(『産業経理』第6巻第1号、最終頁)。役員は以下の通りでした。

会 長    山室宗文(三菱経済研究所理事長)

副会事    太田哲三(東京産業大学教授)     

理事長    野田信夫(三菱重工調査役)

常務理事   今井忍(中央大学東京女子大学講師)

理事兼評議員 黒澤清(横浜経済専門学校教授)ほか20名

評議員    青木倫太郎(関西学院大学教授)ほか10名

監 事    茂木知二(大日本開発役員)

       島田宏(計理士)

 

同協会の主なる事業は、以下の通りでした。

 ①雑誌『産業経理』(月刊)発行。

 ②産業経理に関する出版物刊行。

 ③経済時事問題に関する講演会、講習会、研究会等の開催。

 ④経理要員養成所の設置。

 ⑤外国専門書、文献の翻訳紹介。

 ⑥経理実地指導。

 

文献

今井忍1976「〈随想録〉日本原価計算協会〈1〉〈2〉」『産業経理』第36巻第4,6号。

原価計算編集部1942「東京原価計算展覧会報告」『原価計算』第2巻第10号。

産業経理協会編2003『日本原価計算協会の設立と歩み』産業経理協会。

産業経理編集部1998~2002「日本原価計算協会の設立とその歩み(1)~(18)」『産業経

 理』第58巻第1号~第62巻第2号。

富永任1943「原価計算展覧会雑感」『原価計算』第3巻第10号。