昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(監査)④: 会計制度監査Ⅳ

日本型会計制度の歴史(監査)第4回 会計制度監査Ⅳ

 

 今回は,会計制度監査の4回目(最終回)です。

 

1.会計制度監査の問題点

 大蔵省企業会計審査員となった渡邊実は、「正規の監査実施可能ならしめる事態の醸成」として、次の7点を挙げています(渡邊1955、111頁)。

 ①証券取引法と商法との調整。

 ②監査手続、企業会計の基準及び財務諸表監査のあり方の確立。

 ③我が国の現段階における会計士監査の意義又は目的のせん明又は啓蒙。

 ④公認会計士の資質の向上。

 ⑤適格者たる公認会計士の選定。

 ⑥監査日数及び人数の基準決定。

 ⑦その他パートナーシップ、監査契約等についての研究。

 

 「①証券取引法と商法との調整」が必要な点については、以下のものが挙げられています(渡邊1955、103頁)。

(a)会社は決算後2ヶ月以内に株主総会開催、税務申告及び総会2週間前に監査役へ計算

 書類を提出しなければならないので、監査の日数を増加すれば、決算事務及び申告事

 務執行に支障を来す。

(b)監査役の監査と公認会計士監査との重複があり、両者の意見に相違がある場合が懸念

 される。

(c)商法に定める計算書類の確定及び配当の決定を株主総会の決議事項から除き、取締役

 会の決議事項に改める要があるとする。

 

 なお、(b)の問題については、1951年(昭和26年)に企業会計基準審議会によって公表された「商法と企業会計原則との調整に関する意見書」の「第5  監査役証券取引法による公認会計士の監査」おいて次のように要求されていました。

証券取引法に基き公認会計士の監査をうける会社は、計算書類に関する監査役の監査

 を要しないものとする。」

 

 結局、上記の問題点のうち、「(a)決算期間の延長」と「(b)監査役の監査と公認会計士監査との調整」という点が解消されるのは1974年(昭和49年)の商法改正によってであり、そして(c)のうち「計算書類の確定を株主総会の決議事項から除く」という点が解消されるのは1981年(昭和56「年)の商法改正によってでした。また(c)のうち「配当の決定を株主総会の決議事項から除き、取締役会の決議事項に改める」という点については、2002年(平成14年)の商法改正による委員会等設置会社導入によって解消されました。

 

2.正規の財務諸表監査

 1957年(昭和32年)1月1日以降に始まる事業年度から正規の財務諸表監査が実施された。証券取引法に基づく監査が開始されてから6年目のことでした。

 正規の監査実施については、当時、時期尚早論も根強くありました。その理由は以下の3点でした(黒澤ほか1957、55頁。)

 ①無制限な監査で十分責任を持った監査というものが、非常に限られた時間で果たし

  て遺憾なくできるものかどうか。

 ②一般的に見た監査人の能力というものから考えて、非常な大企業の監査をして適正

  なりや否やの判断をすることが、今の会計士に間違いなくできるかどうか。

 ③日数が増えると、監査料金が飛躍的に上がるのではないか。これは現在の監査の効

  果と見合わして考えると、被監査会社としては賛成しかねる。

 

 正規の監査に移行するために、最も実際的に議論されたのは、公認会計士監査と監査役監査との調整問題でした(日本公認会計士協会1975、348頁)。結局、1956年(昭和31年)2月11日に大蔵省と経団連との間に、「昭和32年1月1日以後に始まる事業年度から、法的措置を講ずると否とにかかわらず、証券取引法の規定による正規の監査を実施する」との覚書が取り交わされ、「第6次は正規」という線が確認されました(日本公認会計士協会1975、348頁)。

 正規の監査の実施を機会に、それまで会計制度監査の実施を推進していた「懇談会」は解散し、その後は、監査の一般的基準および実施上の具体的基準についても「企業会計審議会」がその審議にあたることになりました。1956年12月に「企業会計審議会」は、「監査基準」の一部を改訂するとともに、「監査実施準則」を全面的に改め、さらに「監査報告基準」を新たに作成しました。但し、実質的には改正前の「監査基準」中の「監査報告基準」が2つに分割され、一部は「監査基準」に残り、一部は字句の修正の上「監査報告準則」に移されたものでした(日本会計研究学会1957、96頁)。なお、第3部会長の黒澤清ほか、渡邊実、飯野利夫、江村稔が起草に参加しました。

 、新設の「監査報告基準」には、「正当な理由による期間利益の平準化又は企業の堅実性を得るために」企業の採用する会計処理の原則及び手続について当期純利益に著しい影響を与える変更が行われた場合、必ずしも監査報告書に記載しなくてもよいとされていました[三、(三)、3]。すなわち、正規の監査に入るにあたって、「監査報告基準」の方で緩和するというものでした(黒澤ほか1957、62頁)。

 この緩和策については、当時、上期と下期に業績の大きい季節的変動を伴う会社が、その間の利益を調節するために継続性に変更を加えている慣行だとか、わが国の企業の基礎が一般的に見て弱いために、好況時に利益の計上を控え目にしておいて、不況に対処するというような慣行が存在したことを考慮したものでした(庭山1957、64頁)。これに対しては、「会社の利益操作を是認することになるのではないかという批判」(日本会計研究学会1957、57頁)が多くの会計学者から上がりました。

 1957年3月に「監査証明規則」に代えて、大蔵省令として「財務諸表の監査証明に関する省令」が公布・施行され、同年4月には、同省令の取扱についての通達が発表されました。

 正規の財務諸表監査制度は、その後、商法の会計規制の近代化につながっていく。昭和37年の商法改正について商法学者の矢澤惇は次のように述べています。

「37年改正は何のために行われたかというと、証取法上の公認会計士の強制監査が全面

 的に昭和32年から施行されることになり、その会計基準企業会計原則とまるで違っ

 た商法であっては困るというので、ピッタリ一致するところまではいきませんでした

 けども、ほとんど全部商法を会計原則に合わせたといってよいでしょう。」(新井ほか

 1978、24頁)

 

3.結び

 岩田巌は、著書『会計士監査』の序文で次のように述べています。

公認会計士法ができてからもう6年になる。証券取引法の強制監査が始まってからで

 も、すでにかれこれ4年なのである。だがそれにもかかわらず、会計士監査はいまだ

 に中途半端なところで、もたついたままである。

  …中略…

  だが、前進をはばむ障害の多くは、わが国にとってはむしろ宿命的なものであっ

 て、いますぐにはどうにもならないものであったといってよい。」(岩田1954、「は

 しがき」1頁)

 

 日本の会計制度について、戦後はアメリカの模倣といわれますが、しかし問題は模倣にあったのではなく、模倣にすらなっていない点にありました。つまり、とても模倣できない程、不十分な条件ばかりでした(鳥羽2009、242頁参照)。本来、法定監査を始めて受ける会社にとっての「初度監査」という言葉が、すべての法定監査対象会社は勿論、公認会計士や規制当局にも妥当しました。そのため会計制度監査という形で実施され、当初は「初度監査に限って」認められるはずの歴史的実験でした。当時の証券取引委員会の初代監査係長であった浅地は、後に次のように語っています。

「原案を、それはもちろん学者方がアメリカあたりの資料を提供していただいたことも

 ありますし、それからいまの会計士の先輩方(渡部義雄等:筆者注)のお力で、みん

 なが持ち寄りましてね。われわれは、当時、役所の立場で関与はしておりましたけれ

 ども、実態的なことになりますと、監査のことは金融機関や証券会社の検査の経験ぐ

 らいから判断する程度でよくわからないんです。しかし、そういうことで、曲がりな

 りにも、原案を基礎にしまして、一応通達の形にした。」(番場ほか1974,12頁)

 

 第3次までの会計制度監査については、企業の経理担当者による次の発言がその性格をうまく言い表しています。

「まず初年度、次年度、第3次という具合に段階的に監査をやってきた。抑々この法定

 監査制度というのが自然発生的にできてきたものじゃないので、アメリカとかイギリ

 スとか、諸外国の例と全然違って、天降り的にでき上ったものなのですから、これは

 会社の方も、公認会計士の方も、やはり1年生から始めるわけなんで、まあ手習期間

 といいますか、それを段階的にやってきた。」(黒澤ほか1957、54頁)

 

 戦後占領期に、「天降り的に」始まった法定監査制度を会計・監査基準、公認会計士制度及びそれらを支える行政組織の整備によって具体化し、それらを「日本型」会計制度として根付かせるための様々な試行錯誤によって会計制度監査が進められました。

 独立回復によって、会計制度監査を支える機構が大きく様変わりしました。すなわち、証券取引法による監査が大蔵省の所管となり、準備段階から独立回復後に実施された第4次監査では、通牒が先ず公表され、「懇談会」の「申合せ」公表となりました。また、第5次監査からは「内部統制質問書」が日本公認会計士協会により改訂されました。そして、「懇談会」は正規の監査移行時に解散し、監査基準に関する審議は「企業会計審議会」に引き継がれ、その後の証券取引法による会計規制の大枠が確立しました。

 

文献

新井清光ほか1978「〈座談会〉企業会計制度の基盤」『企業会計』第30巻第12号。

岩田巖1954『会計士監査』森山書店黒澤清ほか1957「〈座談会〉正規の監査への新し

 い態勢について」『産業経理』第17巻第1号。

黒澤清ほか1957「〈座談会〉正規の監査への新しい態勢について」『産業経理』第17巻

 第1号。

鳥羽至英2009『財務諸表監査 理論と制度〈発展編〉』国元書房。

日本会計研究学会1957「〈円卓討論〉監査基準及び準則の検討」『会計』第72巻

 第3号。

日本公認会計士協会25年史編さん委員会1975『公認会計士制度二十五年史』同文舘出

 版。

庭山慶一郎1957「いわゆる全面監査の実施について」『産業経理』第17巻第2号。

番場嘉一郎ほか1974「〈座談会〉企業会計四半世紀の歩み」『企業会計』第26巻

 第1号。

渡邊実1955「第五次監査について」『産業経理』第15巻第2号。