昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(監査)①: 会計制度監査Ⅰ

日本型会計制度の歴史(監査)第1回 会計制度監査Ⅰ

 

 今回以降,会計制度監査を取り上げます。

 

1.会計制度監査

 戦後占領期の1948年(昭和23年)に企業会計制度対策調査会(以下では「調査会」と略称する。)が設置されました。「調査会」には4つの部会が置かれ,そのうち黒澤清を部会長とする第1部会の目的は「財務諸表の改善統一に関する調査」でした。また、岩田巖を部会長とする第3部会の目的は「企業会計の監査基準に関する調査」でした。1949年(昭和24年)7月9日,「調査会」は,「企業会計原則」と「財務諸表準則」を中間報告として発表しました。そして、1950年(昭和25年)には、「財務諸表準則」を基礎に「企業会計原則」の一般原則の一部を取り込んで、証券取引委員会規則第18号として「財務諸表規則」が制定されました。

 1950年5月に、「調査会」は、「経済安定本部設置法の一部を改正する法律」の公布によって法制化され、発展的に解消し、名称も企業会計基準審議会に改められました。同年7月には、この企業会計基準審議会によって「監査基準」及び「監査実施準則」が公表され、1951年(昭和26年)には、「財務書類の監査証明に関する規則」(証券取引委員会規則第4号)によって「監査基準」の一部が法制化されました。これらにより、証券取引法の領域では会計・監査基準としては、フルセットの近代化が実現しました。

 しかし、その後,すんなりと公認会計士監査が立ち上がって軌道に乗ったわけではありませんでした。すなわち、これらの基準を実際、機能させることが「日本型」会計制度形成の第二段階ですが、その主体として、1951年(昭和26年)、企業会計基準審議会より3名、公認会計士管理委員会より2名、経済団体連合会より15名、そして公認会計士協会より8名の構成員からなる会計監査基準懇談会(以下では「懇談会」と略称します)が発足しました。

 「懇談会」では、「欧米の監査水準をもって直ちにこれを実施することは困難であり、何らかの経過的措置が必要である」(日本公認会計士協会1975a、335頁)という意見を受け、経済団体連合会(以下では経団連と略します)からの委員と日本公認会計士協会からの委員との間での意見調整を経て、初年度においては「正規の公認会計士監査を受入れる環境状況が企業に整っているかどうかを監査する」(新井1999、5頁)会計制度監査を実施するにとどめることとなりました。結局、会計制度監査は、戦後占領期に初度監査(1951年)から第2次監査(1952年)まで、そして独立回復後に第3次監査(1952年)から第5次監査(1956年)まで行われました。

 

2.「証券取引法」と公認会計士監査

 1947年(昭和22年)3月28日に「証券取引法」が公布されましたが、証券取引委員会に関する規定(同年7月23日施行)を除いて実際上、未執行のまま全面改正されました。それは、連合国司令部(GHQ)の意向に沿って施行令委任事項を直接法律に織り込み、アメリカの証券制度を大幅に取り入れた全面改正でした(岡村1953、5-8頁参照)。1948年(昭和23年)4月13日に改正「証券取引法」が公布され、同年5月7日に施行されました。この改正法の施行により、証券取引委員会は、独立の行政官庁として権限を強化、改組されました。改正法の193条には、以下の規定がありました。

「証券取引委員会は、この法律の規定により提出される、貸借対照表損益計算書その

 他の財務計算に関する書類が計理士の監査証明を受けたものでなければならない旨を

 証券取引委員会規則で定めることができる。」

 

 この規定によって、証券取引法の適用会社が、商法による計算書類以外に証券取引法上の財務書類を作成する義務を負う法的基礎が提供されました。但し、上掲の規定は、直ちに実施することが考えられていたわけではありませんでした(日本公認会計士協会1975、324頁)。1948年(昭和23年)7月6日に、「公認会計士法」が公布され、1949年(昭和24年)5月16日には、東京、大阪、名古屋証券取引所の立会が開始されました。

 1950年(昭和25年)3月29日に改正「証券取引法」が公布・施行されました。これにより、証券取引法の規定により提出される財務書類の用語、様式及び作成方法を定める権限が証券取引委員会に付与され、またこれらの書類について、下掲の第193条の2の規定により、それを提出する会社と特別の利害関係のない公認会計士の監査証明を受けなければならないこととされました。つまり、公認会計士による法定監査の基礎が確立されたのです。

証券取引法に上場されている株式の発行会社その他の者で証券取引委員会規則で定め

 るものが、この法律の規定により提出する貸借対照表損益計算書その他の財務計算

 に関する書類には、その者と利害関係のない公認会計士の監査証明を受けなければな

 らない。

…(中略)…

  第一項の公認会計士の監査証明は、証券取引委員会規則で定める基準及び手続によ

 って、これを行わなければならない。(以下省略)」

 

 しかし、証券取引法に基づく公認会計士監査の制度は、法施行後すぐには実施されませんでした。1950年3月、経団連は「公認会計士の監査証明の実施時期に関する覚書」を発表し、本制度の実施には少なくとも1年くらいの準備期間が必要であるという意見を表明し、同年7月、「公認会計士の監査証明制度実施に関する意見」を発表しました。そこでは、公認会計士の監査証明制度実施の前提条件として以下の点等を要望しました(日本公認会計士協会1975、330頁)。

  • 商法及び税法と証券取引委員会規則との調整を図ること。
  • 監査役制度と公認会計士との調整を図ること。
  • 簡易監査は見合わせること。
  • 決算を年1回に改めること。
  • 監査報酬を公定すること。

 

 同年8月には、公認会計士協会は、第二次シャウプ税制使節団に対して、「証券民主化のためには、できる限り速かに全上場会社に対する監査を実施するように勧告されたい」との要請を行いました。これに応えて同年11月発表になった第二次税制勧告書(附録書)において「証券取引委員会は、取引所に登録されている株式を有する法人の貸借対照表及び損益計算書の検査を要求する規則をできるだけ早く(おおむね昭和26年4月以前)施行すべきである。」ことが勧告されました。そのため、証券取引委員会はこの勧告に基づき、翌1951年(昭和26年)1月公布、同年4月から施行の予定で「財務書類の監査証明に関する規則」(以下では「監査証明規則」と略称します)の立案作業を進めました (日本公認会計士協会1975、330頁)。

 そして、1951年3月8日に証券取引委員会により「監査証明規則」が公布され、同年7月1日から施行されることになりました。これは「監査基準」の一部を法制化したものであり、その要点は、以下の2点でした。

 ①1952年7月1以降に始まる事業年度から法定監査を開始する。

 ②監査を受ける会社は資本金1億円以上の会社で、その株式が証券取引所に上場さ

  れ、証券取引委員会に報告書の提出義務があるものに限る。

 

文献

新井益太郎1999『会計士監査制度史序説』中央経済社

岡村俊1953『証券取引法について』[講述]大蔵省官房調査課、金融財政事情研究会

日本公認会計士協会25年史編纂委員会1975『公認会計士制度二十五年史』同文舘出版。