昭和会計史としての「企業会計原則」

日本の会計制度近代化の立役者『企業会計原則』をはじめ財務会計について考察します。

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)①:「工業会社及ビ商事会社ノ財務諸表作成ニ関スル指示書」

日本型会計制度の歴史(「企業会計原則」)第1回 「企業会計原則」の誕生前史

 

 今回は,「企業会計原則」の誕生前史として,「工業会社及ビ商事会社ノ財務諸表作成ニ関スル指示書」およびその改訂を取り上げます。なお,引用の一部については,表記を改めています。

 「企業会計原則」は、日本の企業会計の近代化に貢献しただけでなく、会計教育にも多大な影響を与えてきました。以前の財務会計の教科書は、その多くを「企業会計原則」の解説に充て、付録としてその全文を掲載していました。そのため、「企業会計原則」自体、身近なものでした。また、大学をはじめとする教育機関はもちろん、各種資格試験においても大きな役割を果たしてきました。さらに、日本の会計制度に大きな影響を与えました。 

 「企業会計原則」の誕生については,自ら中心となった黒澤清自身の回顧録や対談での発言,及び当事者としての資料が成蹊大学図書館に黒澤文庫として所蔵されているため,詳細な事情を窺い知れるという点でも極めて興味深いテーマです。黒澤は,雑誌『企業会計』に「資料:日本の会計制度」という16回の連載で「企業会計原則」の誕生について詳述しています(黒澤1979/80)。

 しかし,当連載では,記載事実の一部について明確でない個所が少なからずあります。そうした点については,黒澤の他の回顧録及び対談での発言や黒澤文庫所蔵資料,国立公文書館所蔵資料,国立国会図書館の憲政資料室に「日本占領関係資料」として所蔵されているアメリカ側の資料等と突き合わせて,「企業会計原則」の誕生について再現してみたいと思います。なお,引用の一部については,表記を改めています。

 

 当時,連合国最高司令官総司令部(General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers;以下ではGHQ/SCAPと略称します)は日本の財閥解体に取り組んでいました。そのため,主要な商工業会社のほとんどが「制限会社」に指定され,その目的のために主要企業の財務状況の調査を行うことになり,その任務がGHQ/SCAPの経済科学局(Economic Science Section; ESS)に与えられました(新井ほか1978,16頁)。因みに,ESSは,GHQ/SCAPに設置された幕僚部(Special Staff Section)の1つであり,GHQ/SCAPの中で最も重要な部局の1つでした(竹前2002,66頁)。

 「制限会社」は,過去10年分の財務諸表,そして,その後も定期的にESSの調査統計課(Statistics and Research Division)への財務諸表の提出を要求され,また各種申請書にも財務諸表の添付が必要とされました。しかし,当時の日本の財務諸表は,様式も様々で,「過去において連合司令部に提出された報告書を見るに,会計処理法中,遺憾な点が甚だ多い」というものでした。そこで,ESSの担当官と日本人嘱託の協力で財務諸表調整に関する指示書が作成されることとなりました。

 指示書作成の日本人側のHeadは,九州大学教授でESS経済顧問(economic adviser)の高橋正雄,実務担当者は,ESS嘱託(consultant)の橋本雅義と元東京商科大商学専門部教授の村瀬玄,ESS側のHeadは,調査統計課課長代理(Deputy Chief)のマーチ(F. A. March),実務担当者は,米国で会計士の経験を持つ会計顧問(accounting consultant)ヘッスラー(W. G. Hessler)でした(黒澤1984,6頁)。

 ESSは,村瀬玄に対して,1934年(昭和9年)に商工省が発表した「財務諸表準則」の翻訳を依頼しました。ヘッスラーが,その翻訳を土台にして修正したものが「工業会社及ビ商事会社ノ財務諸表作成ニ関スル指示書」("Instructions for the Preparation of Financial Statements of Manufacturing and Trading Companies ":以下では「指示書」と略称します)であり(田中編1990,357-358頁),1947年(昭和22年)7月に発出されました。

 なお,CIE資料にある"INSTRUCTIN FOR THE PREPERATION OF FINANCIAL STATMENTS"(CIE 1948)には1947年11月17日と記載されていますがマーチ宛に提出された"MEMO FOR GENERAL MARQURT”により「指示書」が「制限会社」に昭和22年7月送付されたことが確認できるとされます(千葉1998,104頁)。「GENERAL MARQURT」とは,ESSの局長のマーカット(F. W. Marqurt)少将です。

 「指示書」作成時における最大の問題点は,「未払込資本金」の貸借対照表借方計上でした。「未払込資本金」は、昭和5年の「標準貸借対照表」以来、貸借対照表の問題として未解決のままこの時期まで持ち越されていました。因みに、この問題は、株式の分割払込制により生じていた問題で、その制度自体、昭和25年の商法改正で廃止され、「未払込資本金」の問題は消滅してしましました。「指示書」作成の当事者,村瀬玄は当時の事情について後に次のように述懐しています。

「その指示書は三週間かってできたのであるが,そのうちの一週間は『未払込資本金』

 を貸借対照表の借方資産の部に記載するか否かに関して筆者とヘッスラー氏との間の

 盛んな議論に費やされた。」(日本公認会計士協会1975,219頁)

 

 上掲の証言にあるように,「指示書」は,ヘッスラーとの共同作業でわずか三週間で作成された間に合わせ的なものでした。そして、「指示書」を該当会社に配布しても、どの会社でもその真意がわからなくて返事が出せないという事態となりました。それは、黒澤によると以下の理由によるものでした(田中編1990、358-359頁)。

「もとの財務諸表準則のとおりならわかるのを、ヘスラーアメリカ流になおしてしま

 った。彼が訂正したなかでとくにわからないのが、いわゆるサープラス・ステートメ

 ント(剰余金計算書)です。それを『インストラクション』(「指示書」:筆者注)では

 『調整計算書』という名称をつけた。

  …(中略)…

 

    村瀬先生は剰余金計算書の概念がわからないで、インストラクションでは変な訳名

 をつけてしまった。」

 

 1947年(昭和22年)11月に,ヘッスラーはESS嘱託の橋本雅義を通して「指示書」の修正を太田哲三(東京商科大学教授)に委嘱しました。その結果,太田哲三(東京商科大学教授)を中心として産業経理協会のなかに,今井忍(産業経理協会常務理事),鍋島達(産業経理協会常務理事),岩田巖(東京商科大学助教授)および黒澤清(横浜経済専門学校教授)等から成る私設委員会である「財務表標準化委員会」が設立され,その審議にとりかかりました(黒沢1979/80〈4〉98頁)。

 黒澤清は当時の事情について後に次のように回顧しています。

「世間には誤解もあって,これ(「指示書」:筆者注)が企業会計審議会や会計原則の発端

  になっているかのように思っている人もあるので,事情を明らかにしておく必要があ

  る。この財務諸表様式については,当時ESSの嘱託をしていた一橋出身の橋本雅義氏

  が,これを太田先生のところに持って行って,再検討を依頼したのです。太田先生

  は,岩田君や今井忍君を呼んで,産業経理協会内に委員会を設けて,再吟味を試み

   ました。私も二回ぐらいそれに参加したことがある。しかし格別の結論が出ないう

     ち に,経済安定本部のなかに,前述の企業会計制度対策調査会が設置されたので,

     委員会は解散してしまいました。」(番場ほか1974,6-7頁)

 

 こうして「財務表標準化委員会」は,後述のように結果として1948年(昭和23年)7月に設置された「企業会計制度対策調査会」の活動に合流しました(番場ほか1974,6-7頁)。

 

文献/資料

新井清光ほか1978「〈座談会〉企業会計制度の基盤」『企業会計』第30巻第12号。

久保田秀樹『「日本型」会計規制の変遷』中央経済社,2008年。

黒澤清1979/80「資料:日本の会計制度〈1〉~〈16〉」『企業会計』第31巻第1号~

 第32巻第4号。

---1984企業会計原則の歩み」『企業会計』第36巻第1号。

竹前栄治2002『GHQの人びと-経歴と政策―』明石書店

田中章義編1990『〈インタビュー〉日本における会計学研究の発展』同文舘。

千葉準一1998『日本近代会計制度-企業会計体制の変遷』中央経済社

日本公認会計士協会25年史編さん委員会1975『会計・監査史料』同文舘出版。

番場嘉一郎ほか1974「〈座談会〉企業会計四半世紀の歩み」『企業会計』第26巻

 第1号。

三浦陽一・高杉忠明訳2004『敗北を抱きしめて[増補版] (下)』岩波書店

日本公認会計士協会25年史編さん委員会1975『会計・監査史料』同文舘出版。

CIE 1948 "Accounting Standards & Education" (国立国会図書館、憲政資料室「日本占領

 関係資料」[請求番号]憲政CIE(C)04982-04985)。